【なつぞら】102話の視聴率とあらすじ!なぜ雪次郎(山田裕貴)は雪月へ帰ったの!?
【なつぞら】102話の視聴率とあらすじ!
広瀬すず主演のNHK朝ドラ『なつぞら』第102話が2019年7月27日(土)に放送されました。
なぜ雪次郎(山田裕貴)は雪月へ帰ったのか、演劇への情熱は何だったのか、そもそも雪次郎の乱のパートは必要だったのか、ネットがざわつきました。
今回はそんな問題回【なつぞら】102話の視聴率・あらすじネタバレ・感想について。
【なつぞら】102話の視聴率
『なつぞら』第102話では、北海道に現れた雪次郎(#山田裕貴)が天陽(#吉沢亮)の元へ#なつぞら
https://t.co/1MAE90JC6w pic.twitter.com/P94SFY430M— リアルサウンド映画部 (@realsound_m) 2019年7月26日
『なつぞら』102話の視聴率は、21.2%!
【なつぞら】102話のあらすじネタバレ
昭和38年12月。なつ(広瀬すず)たちの作ったテレビ漫画『百獣の王子サム』の放送が日曜の夕方に始まる。
十勝の柴田家では富士子(松嶋菜々子)や剛男(藤木直人)、そして泰樹(草刈正雄)も、なつの活躍を喜んでいた。
照男の長男・ちー君もなつの作ったテレビ漫画が好きだという。
しかし東洋動画のテレビ班には問題がある、もちろんあの人、演出の坂場(中川大志)だ。制作進行との言い争いが絶えないのだ。
なつが間に入り、ケンカシーンを土の煙でモコモコと覆う案を出す。さらに星を出したあと伸びてるトラを出すという表現も提案。
暴力を振るう場面を子どもに見せない表現でもあり一石二鳥だ。さらにその分、丁寧に描きたいシーンには時間をさける、と大好評な案だった。
その頃、帯広の雪月に、大きなカバンを抱えた雪次郎(山田裕貴)が現れた。
雪次郎は菓子屋に戻るために帰ってきた。逃げではなく、捨ててきたのだ。
その後、雪次郎は天陽のアトリエを訪問。雪次郎はなつに追いつけないことは嘆いた。
天陽は「競争じゃないべ。人生は。」と励ます。
新宿「風車」では、雪次郎の話しになっていた。蘭子は「心から辞めろって言ったわけじゃないのに…。」と言う。
亜矢美が「彼はそれも分かってましたよ。分かったから辞められたんだと思います。」とフォローした。
「雪次郎君。あれからじっくり考えて気付いたそうです。自分は開拓者になるなら 演劇じゃなく菓子屋だって。」なつは彼の真意を伝えた。
(ナレーション)ああ なつよ…降り積もる雪がやがては解けるように時間は過ぎてゆくだろう。そこに残るのは思い出か、愛か…。来週に続けよ。
【なつぞら】102話の感想
なぜ雪次郎(山田裕貴)は雪月へ帰ったの!?
#なつぞら
蘭子さんのせいで雪次郎芝居やめちゃったじゃないか…彼の為を思うならもっと違う言い方で才能を伸ばしてあげるべきだったのでは?というか嘘だとわかった雪次郎もなぜやめる方向に…— minchan (@min611) 2019年7月26日
えっ雪次郎、よく分からない!!蘭子さんに一緒にやれないって言われたらから辞めたの??演劇がやりたいのより開拓者になりたかったの??昨日の録画も見直したけど分からない💦新しい劇団に頭下げて入れてもらうのかと思ってたよ…なぜ演劇を捨てられたの??#なつぞら
— m (@argtm) 2019年7月27日
雪次郎、あんなに演劇に恋して、修業してきたカリー屋にも不義理してばーちゃんにもとーちゃんにも心配かけたのに、好きな女優にふられて「やーめた」って、それは、それは、ないでしょー…!
(ダメだ怒りがとまらない)#なつぞら— さとひ(渡辺裕子) (@satohi11) 2019年7月26日
なぜ雪次郎(山田裕貴)は雪月へ帰ったの!?
その意味が分からない視聴者が多数でした。
たしかに演劇に燃えていたし、前回で本気で辞めろと言ってないことも分かったのに…。
そもそも雪次郎は「川村屋」の修行を辞めるパートがありました。なので、今回はいわば「雪次郎の乱2」。
劇団員たちと思いをぶつけ合い、蘭子と共演していく夢を貫いたのですが、夢破れました。
そなん「雪次郎の乱」はアニメーションと(一見すると)関係ないので、雪次郎パートの不要論が上がっています。
しかし、その意義をフォローするツイートも…
今週のなつぞら、雪次郎パートが不要との声もあるけど、アレ、なつのパートと対になってるんだよね。テレビという新しい世界に踏み出すなつに対し、亀山蘭子との芝居に止まる雪次郎。坂場はテレビに抵抗しつつも、雪次郎には新しい芝居を求める。2組の恋愛も表と裏の描写。これが名人大森寿美男脚本。
— 指南役 (@cynanyc) 2019年7月26日
雪次郎が里に帰るの、蘭子さんを傷つけた自責や両天秤の自責を前に出してもっと綺麗に描く事も出来たしその方が短い尺への収まりも良かったと思う
それだけに「捨ててきた!」の激しさに胸を打たれたし、照男、天陽、雪次郎と、絶対に男の失恋を綺麗事として描かないというこだわりを感じた #なつぞら— HS (@drops2012) 2019年7月27日
漫画映画の手法を「諦めたのではなく、捨て」る事によってテレビアニメならではの手法が確立した、という事にもかかっているかという事が一つ。
あと、やはり今週の雪次郎&蘭子さんパートの動きが芝居のシーンでない所も芝居がかっている所がもう一つの手がかりです。#なつぞら— SOH BUNZOH (@TAGAHILLRECORDS) 2019年7月26日
雪次郎は逃げたのでなく「捨てた」と父に語っていました。
これって、なつが漫画映画でどこに力を注ぐか決断したことに似ています。
格闘シーンを思い切って煙にして、いわば「捨てた」なつ。
新しいことをしていくには、捨てることなど判断が必要。
つまり「なぜ雪次郎(山田裕貴)は雪月へ帰ったのか」の答えのヒントには、なつが語っていた「開拓者」がキーになります。
雪次郎にとっては、演劇を捨てて新ジャンルに挑戦することが、一番大変で開拓精神が必要なことだったのです。(菓子店を親から継ぐことが楽だから、逃げたのではなくて…。)
雪次郎と蘭子、アニメーションパートのシビアな対比!
第17週では、「ゆきぞら」と言われるほど雪次郎の話しが多かったのですが、
なつが新しいジャンル=テレビ漫画で捨てながら挑戦していることと対比されて…
雪次郎が(蘭子のための)演劇から新しい挑戦ができなかった、つまり蘭子を捨てられなかったことも描かれました。
それでも、挫折しても人生は続いていくので、今度は雪次郎が新しい挑戦(=菓子職人)のために演劇を捨てたという展開。
坂場となつが高めあう関係ですが、(十分、尺がなかったので推測ですが)おそらく蘭子と雪次郎が馴れ合いな関係だったのでしょう。
本作は夢を追うこと、とともに開拓者のシビアさも描かれていると思われます。
ただ、天陽が言うように「人生は競争でない」ので、雪次郎が番長たちと再会してアマチュア演劇を楽しんでくれたらいいな、とも思います。
※前回101話のあらすじと感想はコチラ
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