【ちむどんどん】73話|優希美青のキャスティングに絶賛の声!

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ちむどんどん73話

【ちむどんどん】73話(73回)

朝ドラ【ちむどんどん】第73話(第73回)が2022年7月20日に放送されました。

放送後、優希美青のキャスティングに絶賛の声が…。

今回は【ちむどんどん】73話のあらすじネタバレと感想について。

*本ページの情報は2022年7月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

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目次

【ちむどんどん】73話のあらすじネタバレ

【ちむどんどん】73話のあらすじネタバレです。

優子と賢三の過去

ウークイに暢子(黒島結菜)と賢秀(竜星涼)は沖縄やんばるに帰った。そして、良子(川口春奈)、歌子(上白石萌歌)ら四きょうだい全員集まり、優子(仲間由紀恵)の過去を聞くことに…。

優子は、箱を開けて写真を見せた。昭和18年くらいのもので、優子の家族と賢三(大森南朋)が映っている。たった1枚残っているものだ。

優子の家族は那覇で「与那城食堂」を経営していた。家族構成は祖父母と両親、姉と弟、優子の7人家族。ネーネーの時恵は琉球舞踊が上手で、弟・秀夫は賢秀に似てやんちゃだった。

優子は踊りは習わなかったが、ネーネーに少し教えてもらったことはある。賢三はその食堂で働いていた。食堂の名物は蕎麦だった。暢子は、だから父は蕎麦を作れたのかと思った。

その食堂で優子と賢三は出会った。だが初めは、賢三はただのお客さんで芸人一座の一番下っ端だった。

歌子は「上原さんも一座にいたわけ?」と尋ねる。優子は上原照賢(大工哲弘)が座長だったと明かす。歌子が使っている三線(さんしん)は賢三がその頃から使っているものだ。

上原の一座は経営が苦しくなって、賢三は本土に出稼ぎに行ったという。

房子の過去

同じころ、東京では…。

フォンターナで房子(原田美枝子)が二ツ橋(髙嶋政伸)に秘めてきた過去の思いを語る。

房子:「私の両親は、やんばる出身で幼い姉を親戚に預けて鶴見に仕事を探しにいった。私は鶴見で生まれた。だから、一度も姉には会ったことがない。その姉の息子が賢三。暢子さんの父親。賢三は戦前、出稼ぎで鶴見に来ていた。私は『親戚』というものに初めて出会った。嬉しかったあ。明るい若者で三線も上手いし、県人会にもすぐになじんだ。

【補足】房子は、賢三の「叔母さん」と字幕で表記されてきました。自分の両親の姉であれば「伯母」、両親の妹であれば「叔母」です。つまり家系図はこういうことになります↓

大城家と比嘉家の家系図

ちむどんどん大城家

三郎の過去

鶴見の「あまゆ」では、三郎(片岡鶴太郎)もまた田良島(山中崇)に秘めてきた過去を打ち明ける。

(回想)1941年、鶴見。若き賢三(桜田通)は県人会で三線を弾いて、若き三郎(田中偉登)に教えた…。

三郎の三線は、暢子の父親から教わったものと聞いて驚く田良島。

田良島:「両親は沖縄生まれの沖縄育ちだが、俺はこっちで生まれて育った。沖縄のことを何にも知らねえ。大人になるとそれが悔しくてなあ。それで賢三に三線を教えてもらったんですよ。じきに那覇に戻っちまったんですけどね。民謡歌手になりたいつって。」

鉄の暴風

賢三は沖縄に戻ったが、歌手にはならなかった。優子曰く「どうにもならなくて」。つまり、なれなかった。それで優子の店で、住み込みで働きはじめた。それで結婚したかというと違った。

その後、戦争が始まって、招集された賢三は中国の方に出征した。

その頃、田良島も三郎に自分の兄のことを話していた。

田良島:「俺の兄は19年(1944年)に入営しましてね。沖縄で戦死したんです。だから、どうしても鉄の暴風のことを記事にして伝えたかった。」

入営とは?

入営とは…簡単にいうと軍に「入隊」したという意味。正確には兵士が駐屯する仮舎、陣営を兵営と呼び、兵営に入ることを入営という。一般的に「入隊」は陸軍、「入団」は海軍(海兵団)に入る場合の通称。本来は陸海軍の区別なく一律に入営という。

鉄の暴風とは?

てつ‐の‐ぼうふう【鉄の暴風】 の解説 

第二次大戦末期の沖縄戦で、約3か月にわたって米軍の激しい空襲や艦砲射撃を受けたこと。 無差別に多量の砲弾が撃ち込まれるさまを暴風にたとえたもの。

goo国語辞書より

三郎:「俺は戦後、シベリアに連れていかれました。何年も。残された家族は生きてるのか死んでるのかもわからずにねえ、苦労かけてしまいましたよ。」

多江(長野里美):「いいえ」

三郎:「寒さと飢えの中、シベリアで死んだ奴はまだ、骨も日本に帰れないまま。いいやつほど、早く死にます。」

優子の戦争体験

賢三は戦地でのことをほとんど優子に話さなかった。でも、ただ一度だけすごく悔やんでいることがあるとは言っていた…と賢三の帽子を触りながら語る優子。

優子:「まくとそーけー、なんくるないさー(正しいことを誠の事をしていれば、なんとかなるさ)。自分が正しいと思うことを守れなかったことを、すごく悔やんでいたと思う。帰ってきたばかりの頃は、夜寝ている時『ごめんなさい。ごめんなさい』とうなされていたからね。」

昭和19年(1944年)10月10日の大空襲で、那覇は焼け野原になった。優子の実家も食料も全部燃え、祖父母は亡くなった。

…そのうち、米軍が上陸してきた。優子は山の中をさまよっているうちに、両親と姉とはぐれてしまい、弟と2人になってしまった。そしてアメリカ兵に弟とともに捕まって捕虜になっているうち、終戦を迎えた。

戦争が終わっても賢三は沖縄にすぐには帰って来れなかった。そのころの沖縄は日本じゃなくなっていたから…。

包丁をプレゼント

房子は妹と空襲で生き別れた。生存を信じながら、妹を探しつつ商売を始めた。そこに、賢三がやってきた。 

房子:「明るかった賢三がまるで別人。笑わない男になっていた。」

沖縄に帰りてたくても帰れない賢三は、房子の商売を手伝った。人が良く、料理もできるため、房子にとって頼れる甥っ子だった。

一人ぼっちだった房子は、甥っ子の存在がとても嬉しかった。これからも、ずっと商売をやっていこうねって約束して包丁を渡した↓

回想:房子(桜井ユキ)は賢三(桜田通)に「比嘉賢三」と名前が入った包丁をプレゼントした。

翌年、賢三は沖縄に帰れることになった。家族の消息を確かめたらすぐ戻ると賢三は言っていたのに…それっきり賢三は戻らなかった。1年経った頃に手紙が届いた。結婚したから、やんばるで子どもを育てたい、申し訳ない…という内容だった。

房子は甥っ子に裏切られたと思い込んでしまった。

73話の結末

優子と弟・秀夫は、あちこちの収容所を転々とした。いつもひもじかった。

やがて弟も死んでしまった

一人ぼっちになった優子が生きる気力を失くしていた1946年のある日。

賢三は自分の親兄弟を探しに収容所を回っていた。結局、家族は戦争で亡くなっていた。

雑魚寝していた優子(優希美青)は「優子か」の呼びかけに飛び起きて、賢三(桜田通)と抱きしめ合い、喜んだ。

優子(仲間由紀恵)は「運命の再会だと思った」と語る。

(つづく)

【ちむどんどん】73話の感想

優希美青のキャスティングに絶賛の声!

73話では、女優・優希美青さんが優子の若い頃でゲスト出演!

優子役の仲間由紀恵と「激似」で、「ナイスキャスティング」とSNSで話題に!

メイクとかもあるのでしょうが、優希美青さん演じる若い優子が、すごくピッタリ合っていましたね。

急に戦争をからめて来て、ストーリー的にも引き込まれる展開でした。

個人的には田良島さんの兄弟まで沖縄に関わっていたことが驚き。

今回の中で二ツ橋シェフだけ本当に聞き役でしたが(笑)

優子と賢三の出会いのストーリーを聞いた比嘉家四きょうだいはどうしていくのか。楽しみです♪

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画像出典:NHK、スポニチ

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