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元康(あきもと やすし):放送作家、音楽・アイドルのプロデューサー、作詞家、映画監督、エッセイスト、小説家、脚本家。自身が取締役を務め、妻の高井麻巳子が監査役を務める株式会社秋元康事務所に所属。とんねるずのブレーン・プロデューサーとして世間に認知されて以降、ジャンルを問わず多数の楽曲の作詞を手掛ける。

【放送作家】『ザ・ベストテン』、『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当。

【女性アイドルのプロデューサー】「おニャン子クラブ」、「AKB48」をはじめとした48グループ、「乃木坂46」をはじめとした坂道グループをプロデュース。

【作詞家の受賞歴】
・AKB48の「フライングゲット」が第53回日本レコード大賞を、AKB48の「真夏のSounds good !」で第54回日本レコード大賞を受賞。
・乃木坂46の「インフルエンサー」が第59回日本レコード大賞、乃木坂46の「シンクロニシティ」で第60回日本レコード大賞を受賞。

【学歴】中央大学文学部中退。

【主な役職】

  • 日本映画監督協会会員。

  • 2010年6月、日本放送作家協会理事長に就任。

  • 2016年4月、代々木アニメーション学院名誉学院長兼総合プロデューサーに就任。

  • 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。

  • 株式会社KeyHolder特別顧問。

  • 株式会社Fanplus特別顧問。


秋元康の主な企画・原作・原案・脚本・監督ドラマ

秋元康のプロフィール



生年月日
1958年5月2日


出身
東京都


学歴
中央大学 文学部(中退)


配偶者
高井麻巳子(元アイドル)


所属事務所
株式会社秋元康事務所



秋元康の略歴
出生~小学生
サラリーマン家庭の2人兄弟の長男として生まれる。

喘息を患い、小学1年生の時に保谷市(現・西東京市)に引っ越して、西東京市立中原小学校へ入学する。大蔵官僚を志望し、開成中学校を受験したが不合格。
高校時代
親の勧めもあり中央大学附属高等学校に進学。高校2年生時、そろそろ勉強しないと東京大学に入学できないと思い、受験勉強を開始。

高校2年の冬、ニッポン放送『せんだみつおの足かけ二日大進撃!』を聴いていた際に何気なく、せんだみつおを主人公とした『平家物語』のパロディを、受験勉強のために用意したノート20枚にわたり書き上げた。

ラジオで募集されていたわけではないが、同級生の薦めでノートをニッポン放送へ送った。そのノートがニッポン放送制作部副部長だった亀渕昭信(のちに社長)と、大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目にとまる。

ニッポン放送へ遊びに来るように言われ、出入りするうち奥山の弟子となり、大橋巨泉事務所に所属へ。
大学時代
中央大学文学部に進学。その後、放送作家の活動をスタート。当初は放送作家をアルバイトと考えていた。

放送作家業によって当時のサラリーマンの4倍近い収入を得ていたが、本人はそれを「あぶく銭」(正当な労働をせずに得た金銭の意味)としている。「思えば、道草から始まった人生」と自身で回想する。
作詞家の活動
亀渕からニッポン放送の子会社だったパシフィック音楽出版(後のフジパシフィックミュージック)の朝妻一郎を紹介され、作詞を手掛けるように。※作詞家としてはフジパシフィックと契約している。

1981年、アニメ『とんでも戦士ムテキング』(フジテレビ系)挿入歌「タコローダンシング」で初めて作詞家としてクレジットされる。

アーティストに初めて提供した作品は、Alfeeのシングルレコード「通り雨」(1981年10月21日発売)のB面「言葉にしたくない天気」。

以降、作詞家としても活動をスタート。

  • 1982年の稲垣潤一「ドラマティック・レイン」

  • 1983年の長渕剛「GOOD-BYE青春」

  • 1985年の小泉今日子「なんてったってアイドル」

  • 1985年のとんねるず「雨の西麻布」


などのヒットで作詞家としての知名度を獲得していく。

放送作家として人気のテレビ番組『ザ・ベストテン』、『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当。

1985年からは女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛け、全楽曲の作詞を担当した。のちに総合プロデューサーとして関わる

1986年のオリコンウィークリーチャート52週のうち36週でおニャン子クラブ関係の楽曲が1位に。

1987年には長者番付(高額納税者公示制度のこと。2005年分を最後に廃止)の「その他」部門で16位(納税額1億61万円)にランクイン。

1988年、おニャン子クラブのメンバーだった高井麻巳子と結婚。

結婚と同時に渡米し、ニューヨークに1年半ほど滞在する。帰国後、美空ひばりの遺作となった「川の流れのように」の作詞を手掛ける。この曲の「川」とは、ニューヨークのイースト川のことである。 当時の秋元康はニューヨークに在住して現地のカフェ「カフェ・ランターナ」で作詞したと言われている。
AKB48グループのプロデュース
2005年、KRKプロデュース代表の窪田康志、office48代表の芝幸太郎、電通らと協力し『秋葉原48プロジェクト』を発足。

東京・秋葉原に劇場を持つ女性アイドルグループ「AKB48」を立ち上げ、秋元康が総合プロデューサーに就任する。「会いに行けるアイドル」が基本コンセプト。

2006年、AKSを、東京都港区白金台(KRKプロデュース社内)に設立し、AKB48の運営・管理業務を行う。

その後、国内外にAKB48の姉妹グループ(名古屋・栄のSKE48、大阪・難波のNMB48、福岡・博多のHKT48、インドネシア・ジャカルタのJKT48など)を立ち上げていく。
坂道グループのプロデュース
2011年、ソニー・ミュージックエンタテインメント (SME) と秋元康の合同プロデュースにより、AKB48の公式ライバルとして乃木坂46を立ち上げる。

乃木坂46は2011年2月22日にCDデビューする。その後、2015年に「乃木坂46 新プロジェクト」と題して欅坂46(当時)を結成。「坂道シリーズ第2弾」と位置づけた。以降も、吉本坂46を「坂道シリーズ第3弾」と称しており、各グループを合わせて坂道シリーズと総称している。※坂道グループ、46グループとも呼ばれる。

2015年8月21日に結成された欅坂46は、2020年10月14日より櫻坂46に改名している。

2015年11月30日、「けやき坂46」(欅坂46と読みが同じのため「ひらがなけやき」と呼ばれた)が発足。長濱ねるが特例で欅坂46(当時)に加入した際に、総合プロデューサーの秋元康が『「欅坂46」というグループの中に、ひらがな表記の「けやき坂46」というチームを作ろう』と提案して発足された。

けやき坂46は2019年2月11日、日向坂46に改名している。
坂道のライバルをプロデュース
「乃木坂46」公式ライバルグループを結成するため、「がんばれ! ニッポンのアイドル」プロジェクト第一弾としてオーディションを開催する。オーディションは2023年2月1日(水)~2月18日(土)の期間に募集を行い、その後、全国規模の大型オーディションを数ヶ月間かけて実施する。

最終審査は2023年4月22日を予定し、2023年夏にエイベックス・エンタテイメントからメジャーデビューを目指す。レガリアスマネジメント社とエイベックスが手を組み、プロデューサーを秋元康が担当する。
その他のプロデュース業

  • 2001年 - 2006年、推定少女(デビュー時中学生)をプロデュース。

  • 2015年、秋元康のプロデュースでThinking Dogsを発足しCDデビュー。

  • 2016年、デジタル声優アイドルとして22/7(ナナブンノニジュウニ)をプロデュース。

  • 2017年、韓国の音楽専門チャンネルMnet側が秋元康に協力を依頼して日韓合同オーディション番組「PRODUCE 48」が実現。この番組から、IZ*ONE(アイズワン)が誕生。2018年10月から2021年4月までの2年6か月の期間限定で活動。

  • 2017年、オーディション番組『ラストアイドル』から、アイドルグループ「ラストアイドル」が誕生。2022年5月31日に活動終了。

  • 2017年、エイベックス社長の松浦勝人との共同プロデュースで劇団4ドル50セントをプロデュース。

  • 2018年、日韓同時放送の公開オーディション番組「PRODUCE 48」

  • 合格者12人がグローバルガールズグループ「IZ*ONE」として2018年10月29日にデビュー

  • 2018年、ワーナーミュージック・ジャパンとの共同プロデュースで、ガールズバンド「ザ・コインロッカーズ」をプロデュース。2021年末に解散。

  • 2018年~2021年、秋元康と佐久間宣行が手掛けた青春バラエティ番組『青春高校3年C組』(テレビ東京)で「青春高校アイドル部」を発足。

  • 2018年~2021年、男性アイドルグループ「ハイスクールチルドレン」をプロデュース。

  • 2022年、オーバースが準備している新規アイドルグループ創造プロジェクトの総合プロデューサーに就任。2023年夏に新アイドルグループを結成。 2023年冬に新アイドルグループデビュー、メタバース(インターネット上の仮想空間)での展開も始動。


アイキャッチ画像出典:フジパシフィック音楽出版