【鎌倉殿の13人】最終回ネタバレと視聴率!義時の最期はのえによる毒殺?

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鎌倉殿の13人最終回

【鎌倉殿の13人】最終回ネタバレと視聴率!義時(小栗旬)の最期はのえ(菊地凛子)による毒殺?

NHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】最終回が2022年12月18日(日)に放送されました。

鎌倉殿の13人の最終回/第48話は、追討の宣旨を出し、兵を挙げた後鳥羽上皇に対し鎌倉が戦うところからはじまります。タイトルは「報いの時」です。

今回は【鎌倉殿の13人】最終回のあらすじネタバレ・視聴率・感想について。

*本ページの情報は2022年12月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。

目次

【鎌倉殿の13人】最終回のあらすじネタバレ

【鎌倉殿の13人】最終回のあらすじネタバレです。

永禄7年(1564年)。徳川家康(松本潤)は鎌倉幕府の公式の歴史書『吾妻鏡』を熱心に読んでいた。家康は「いよいよ承久の乱の始まりか。ドキドキしてきた」とつぶやく。

承久の乱

後鳥羽上皇(尾上松也)は地頭の更迭や内裏(だいり)再建費用の供出などの要求をことごとく退ける鎌倉幕府の態度に怒る。

そしてついに後鳥羽上皇は、日本全国に義時追討の院宣(いんぜん:上皇または法皇の命令を受けて出す文書)を出す。承久の乱の幕開けである。

義時(小栗旬)は自分が京へ行けば鎌倉は血を流さなくて済むと決心する。だが、政子(小池栄子)は御家人に義時の思いを伝え、士気を高める。こうして鎌倉は朝廷と徹底抗戦することを決めた。

鎌倉の作戦は、後鳥羽上皇を迎え撃つのではなく即刻出撃する作戦。

北条義時
北条義時

総大将は、泰時に任せる。鎌倉の命運は、お前に託した。

幕府軍の勝利

承久3年(1221)5月22日、泰時(坂口健太郎)は、わずか17人の兵を率いて京へと向かう。その途中で、北条を助けようと御家人たちがどんどん集まってくれた。

最終的に、泰時の兵は19万人にもふくれ上がっていた。(人数は書物でも後世に言い伝えられている)

後鳥羽上皇は当初、追討の院宣さえ出せば多くの武士が京につくと考えていた。 しかし幕府が大軍となり近づいていることを知った上皇は、大いに慌てる。

上皇は美濃国(みののくに)・尾張国(おわりのくに)の国境付近で迎撃態勢を固めたが、戦力を分散したため京の軍は撃破される。

幕府軍は要衝(ようしょう)の墨俣(すのまた)を突破し、美濃に侵入。宇治と瀬田(瀬田の合戦:滋賀県大津市の瀬田川に架かる橋付近が合戦の舞台になった)から京に迫った。

後鳥羽上皇の側近・藤原秀康(星智也)が率いた1万の軍が、京に入られないように宇治川で戦う。いわゆる「宇治川の戦い」である。

泰時は、いかだ作りを命じ、いかだで川を渡って攻め込むことに…。地上戦になっていく。義村(山本耕史)は幕府軍が勝つと思うが、三浦胤義に上皇を担ぎ出せたら違うと思う 。

平盛綱 (きづき) が矢で打たれるが、盛綱は「俺にかまうな」と泰時の背中を押す。

幕府と官軍の兵力差は明らか。藤原秀康(星智也)・三浦胤義 (岸田タツヤ) をらは敗走してく。そして上皇に戦に出るよう願い出たが、叶わなかった。

戦は幕府側が大勝利。後鳥羽上皇はトキューサこと北条時房(瀬戸康史)に会って、「(そそのかそうとした)奸族(かんぞく)をよう倒してくれた」とお礼を言った。

戦後の処罰

義時は、戦に勝って安堵する。しかし、その結果として歴上初めて朝廷の面々の処罰をしなければならない。

北条義時
北条義時

この私が、次の帝を決めるのか。

義時は、戦勝後の裁きを大江広元(栗原英雄)と相談する。

北条義時
北条義時

後鳥羽上皇は、隠岐島でどうだろうか。

義時は、後鳥羽上皇を隠岐島に流罪とした。隠岐には文覚もいた。後鳥羽上皇は死ぬまで隠岐を離れることはなかったという。そして、直系の親族たちも各地へ流罪に。天皇も後鳥羽上皇の甥に変更した。また、義時は泰時(坂口健太郎)と時房(瀬戸康史)を京に滞在させ、朝廷の監視をさせる。

承久の乱から3年が経過した貞応3年(1224)6月、義時は62歳になる。義時は、京から鎌倉へ戻って来た泰時と時房と話をしている。

泰時は帝の一門を流罪にしたことで大悪人になったと心配していた。義時は「大悪人は私だ」と言う。時房(瀬戸康史)は「向こうで懐かしい人に会いました」と告げる。それは、りく(宮沢りえ)だった。北条時政が伊豆で9年前に亡くなったことを伝える。

「幸せだったと思います。女の人が面倒みてくれたので」と泰時が言うと、「あの人は女の人が放っておけないの。いい話を聞きました。またどこかでお会いしましょう」と去った。

・・・泰時・時房と話していた義時は突然めまいがして、倒れてしまう。(病死の伏線?)※補足あり

義時の最期

義時は大事には至らなかった。 のえ(菊地凛子)が薬草を勧める。義時は嫌がったが、しぶしぶ飲んだ。(もしかして毒殺?)※補足あり

一方、東国の御家人に西国の所領が与えられる。しかし、東と西のこれまで行っていた習慣の違いから西側諸国の者たちが反発していた。天皇をかついで、兵を挙げようとする動きも噂されている。そこで泰時が決まりを作ることを提案。

北条泰時
北条泰時

都のことは私が決めます。新しい世を作るのは私です。

泰時の考えは認められ、「御成敗式目」に武士が守るべきルールを書いた。

義時が運慶(相島一之)に作らせた自分に似た仏像が完成した。しかし、その仏像には邪気の顔が描かれている。義時は怒って仏像を斬ろうとするが、その瞬間に再び、めまいで倒れてしまう。

医者によると「アサの毒」だという。誰が盛ったのか不明だが、義時は のえ(菊地凛子)しか思い当たらないと言う。のえは「あら、バレちゃった」と告げる。

のえは後継ぎのことで恨みを持っていたのだ。「もっと早く本性を見抜くべきだった」と嘆く義時。「あなたには無理。私のことを見てなかったから、こんなことになったのよ!」と泣くのえ。

義時は執権が妻に毒を盛られたとなれば威信にかかわるため、黙っておくことにするが別れることもしないという。

北条義時
北条義時

離縁はせぬ。二度と私の前に現れるな。行け!

のえは子供が後を継げないなら用はないという。去り際、のえは毒を三浦義村からもらったと捨て台詞をはいた。

義時の体調が安定してきたタイミングで、盟友・三浦義村(山本耕史)がやってきた。一緒に酒を飲むことに。義時が妻のえ持って来た体に効く薬を酒で割ったものだとけん制するが・・・「俺はいい。匂いが気に入らん」と断る。

義時がしつこく酒を勧めると、義村は飲んだ。義時が死んで執権になろうとした義村。子供のころから知っている義時が天下をとり、自分はただの御家人であることに嫉妬していたと口にして「いつかお前を超える」と宣言。すると、口の中がしびれる(気がした)義村。

北条義時
北条義時

よく打ち明けてくれた。お礼に打ち明けよう。これはただの酒だ。この先も太郎(=泰時)のことを助けてやってくれ。お前は一度、死んだ。

「これから先も北条は三浦が支える」と義村は答える。「頼んだ」と義時。

さらに義村は【おなごは皆キノコが好き】の理論はでまかせだと打ち明けた。「早く言って欲しかったあ」と嘆く義時。2人は酒を酌み交わす。

その後・・・義時の病状が悪化した。そこに、政子(小池栄子)が見舞いに来る。

北条政子
北条政子

あなたは、上皇様を島流しにした大悪人です。私は、身内を追いやって尼将軍に上り詰めた悪女。頼朝さまから鎌倉を受け継ぎ、次代につないだ。これからは、争いのない世が来るわ。

義時は「血が流れすぎました」と13名の亡くなった者たちの名前を思い浮かべた。(「鎌倉殿の13人」のダブルミーニング?もうひとつのタイトル回収か?)

北条義時
北条義時

それにしても、血が流れすぎました。頼朝様が亡くなってから、何人が死んでいったか。梶原殿、全成殿、比企殿、仁田殿、頼家様、畠山重忠、稲毛殿、平賀殿、和田殿、仲章殿、実朝様、公暁殿、時元殿。これだけで13。そりゃ、顔も悪くなる。

北条政子
北条政子

どうして頼家(金子大地)が入ってるの?頼家は病で死んだことになってるわ。あの子はどうやって死んだの?母親として知りたいの。

義時は隠していた2代鎌倉殿・源頼家(金子大地)の死の真相を政子に打ち明けた。

北条義時
北条義時

頼家様は上皇様と鎌倉を滅ぼそうとしていたので、私が善児に命じて討ち取りました。頼家様は自ら太刀(たち)を取って、見事な最期だったと聞いております。

義時は隠岐の上皇の血をひく帝が返り咲こうとしているから、まだ手を汚す気だ。泰時のために。

義時が苦しみ出し、政子に薬を取ってほしいと頼む。

政子は「そんなことしなくても太郎は新しい鎌倉を作ってくれるわ。私たちは長く生き過ぎたのかもしれない」と薬を捨てる

義時は「私はまだ死ねん、まだ」と、床にこぼれた液体に向かって、はいくつばる。政子は、賢い八重(新垣結衣)の息子・泰時を信じることを訴える。

北条義時
北条義時

あれ(太郎)を見ていると、八重を思いだす。

北条政子
北条政子

もっと似ている人がいます。あなたよ。

義時は「あれを頼みます」と小さな観音像を指さす。政子は「必ず渡します。ご苦労様でした、小四郎」と涙ぐむ。義時は、息を引き取った。 

(終わり)

【48話の出演者】小栗旬,小池栄子,坂口健太郎,瀬戸康史,尾上松也,宮澤エマ,相島一之,小林隆,宮沢りえ,市川猿之助,菊地凛子,栗原英雄,山本耕史,【語り】長澤まさみ

【補足】義時の最期はのえによる毒殺?

補足北条義時は、1224年(元仁元年)6月12日に突然、発病して翌日に死去しています。『吾妻鏡』によれば、「念仏を唱えつつ順次 往生をとげた」とのこと。ただ、古くから「近習の小侍に刺し殺された」などの暗殺説もあったのですが…。「鎌倉殿の13人」は毒殺かもしれないという描写になっているのですね。

※補足2:のえが毒殺したかも?・・・公家の歌人・藤原定家の日記『明月記』に載っている僧侶・尊長の証言が状況証拠としてあります。尊長は後鳥羽上皇(尾上松也)の元側近で、承久の乱から6年後に捕らえられます。尊長は、泰時の嫡子・北条時氏らに「早く首を切れ。さもなくば、義時の妻が義時に飲ませた薬で、早く殺せ」と言ったそうですよ。のえは動機がありますしね。義時に次ぐ3代目執権に自分と義時の子である北条政村を就けようと画策していましたし、第47話では兄で京都守護の伊賀光季が後鳥羽上皇(尾上松也)の挙兵で犠牲となり、義時に「兄は見殺しにされたのですか!」「許せませぬ」と激怒していましたね。ううむ、怖い!

放送後ネタバレ

ネタバレ:劇中で、のえ(菊地凛子)が毒を盛ったことが明かされました。しかし、あらすじを読めばわかりますが、間接的な原因の人物や、トドメを刺した人物は別にいましたね。

【鎌倉殿の13人】最終回の視聴率

【鎌倉殿の13人】最終回の視聴率は世帯視聴率14・8%、個人視聴率8・9%!

全48回の放送期間の平均視聴率は世帯12・7%、個人7・6%で、前作の「青天を衝(つ)け」の14・1%(同8・4%)を下回りました。

【鎌倉殿の13人】最終回の感想

のえの毒殺以外にも義時の死因があって驚きの声

直接の原因は妻のえ(菊地凛子)の毒だったのかもしれないけれど、盟友・義村の手助け、トドメは姉上・北条政子!

もう「こいつが犯人」とか言えない展開。そうですよね。物事って単純じゃないですよ。もう本当に凄い、壮絶な義時の最期でした。歴史のこうだったかもしれない…を脚本に盛り込んだ三谷幸喜さんの手腕も、台本に応えたキャストたちも、素晴らしかったですね。

1年間、ありがとうございました♪


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当記事画像出典:NHK

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