【どうする家康】43話|リアル親友・松潤と七之助の胸アツシーンは「関ヶ原の戦い」より長かった!
【どうする家康】43話のネタバレと視聴率!リアル大親友・松本潤と中村七之助の最後の会話が胸アツ!でも演技力は七之助の勝利?
第43話「関ヶ原の戦い」が11月12日に放送されました。家康と三成、リアル大親友・松本潤と中村七之助の最後の会話が胸アツ!でも戦闘シーンより長かった?
今回は、【どうする家康】43話のあらすじ・ネタバレと視聴率・感想・レビューをお届けします。
【どうする家康】43話の視聴率
【どうする家康】43話の視聴率は11.9%。
【どうする家康】43話のあらすじ
【どうする家康】43話のあらすじです。
最後の調略合戦
慶長5年(1600年)9月14日
天下分け目の大戦「関ヶ原の戦い」がついに決戦のときを迎えようとしていた。
大坂城
治部から秀頼はまだかと矢のような催促が来ている。秀頼にも出陣の覚悟がある、今がそのときだと、のらりくらりと先延ばしにする西軍総大将の毛利輝元(吹越満)に、檄を飛ばす茶々(北川景子)。機を見誤るな!
京・新城
寧々/北政所(和久井映見)は阿茶局(松本若菜)に、今の戦はいわば「豊臣家中のけんか」。本当は豊臣と徳川が一体となって天下を治めるのが最善だと思っていると話す。阿茶はそこで寧々に1つお願いをする。
赤坂・徳川の陣
赤坂の陣所で、家康はじっと地図をにらみつけた。大垣城の石田三成/治部(中村七之助)らは、総大将の毛利輝元と豊臣秀頼を待ちながら、寵城を決め込んでいる。さっさと攻めようと血気盛んな福島正則(深水元基)、でも大垣城は堅牢だから兵が足りないと藤原高虎。
「秀忠様のご本軍が来るまで待つべきかと」井伊直政(板垣李光人)が言う。
当の徳川秀忠(森崎ウィン)はというと、その頃初陣に間に合いたいと無我夢中で馬を西へと走らせていた。「休ませないと馬が死ぬ」と注意する榊原康政(杉野遥亮)。
「本軍がいまだ到着せぬは敵も同じ。万が一、毛利勢が秀頼様を頂いて、敵・三成側に付けば、この戦、危ういですぞ」
まさに本多忠勝(山田裕貴)の言うとおりだ。
家康が調略を任せた黒田長政(阿部進之介)に尋ねると、すでに内応を約束している毛利一族の吉川広家を通じて、小早川秀秋と輝元に調略を繰り返しているが、最後に蓋を開けてみるまで分からないという。
家康は直政に、小早川秀秋に文を繰り返し書くとともに、各陣所に「小早川秀秋はすでに徳川に内応(内通)している」と噂を広めるように命じる。
大垣城
三成の本拠地・大垣城では、小早川秀秋(嘉島陸)が徳川についたという噂が広がっていた。でも、秀頼を擁する毛利勢がくれば我が軍は10万。勝利を確信する三成。「どうする?家康」
赤坂・徳川の陣
「秀忠は諦める。大垣城を放っていく」と決断する家康。
西の関ヶ原には、大谷吉継/刑部(忍成修吾)がいるだけだ。家康率いる東軍が西に進めば、三成たちは城から出て来ざるをえない。そうすれば、野戦に持ち込める。
「されど、後ろを三成に塞がれ、小早川や大坂からの軍勢が敵に加われば、われらは袋のねずみ⋯⋯」と直政。
「それが三成の狙いであろう」
だが、大軍勢を率いるのはうまくいかないものと家康。大雨が降り始めると、今川の先鋒として最初に武功を立てた大高城の兵糧入れを思い出す。泣きながら任務を果たした頼りない家康が今、天下を取るかどうかの瀬戸際だ。
「⋯⋯出るぞ」
「決戦の地、関ヶ原へ」
赤城の陣を出た徳川軍が、雨の中をゆっくりと西に動き始める。大垣城の三成勢にもそれが伝わる。
大垣城を捨て、刑部を攻めて我らを誘き出すつもりだ。
「食いついた」と喜ぶ三成。
間を選かず、大垣城のすべての軍勢が、素早く城を出て西に向かう。
小西行長(池内万作)が三成を呼び止める。「知恵ばかりの戦嫌い」とか言われているが、これほどまでに燃えたぎる熱き心があったとは。紛れもなき、乱世の武将ぞ。デウスのご加護を。
行長と三成の軍が出陣する。
【どうする家康】43話のネタバレ
【どうする家康】43話のネタバレです。
小早川秀秋の裏切りで東軍勝利
一夜明けると雨は上がり、山に関まれた朝の平原は深い霧に包まれていた。
慶長五年(1600年)9月15日
日の本のほぼ真ん中に位置する関ヶ原の地に、両陣営合わせて15万の兵が集結した。
東軍の家康は、関ヶ原の東にある小さな丘、桃配山に布陣。それを守るのは天下無双の本多忠勝。前線の平野には、最強軍団・井伊の赤備えを率いるの赤鬼こと直政がいる。
徳川四天王の2人ほかにも、福島正則、藤堂高虎、黒田長政ら歴戦の猛者たちが、敵を血祭りに上げろといきりたっている。
西軍の三成は、関ヶ原の北西にある笹尾山に布陣。その周囲には、三成の重臣で右腕の嶋左近(高橋努)、薩摩の島津義弘などが陣を取る。
笹尾山から北国街道を挟んだ南に位置する天満山には、宇喜多秀家と小西行長の西軍主力部隊。その南に、刑部が陣を敷いている。
さらに南下して中山道を越えた松尾山には、大軍を率いる小早川が勝手に陣を構えていた。どちらに転んでも動きやすい位置。
家康が陣取る桃配山背後の南宮山には、吉川率いる毛利勢に、土佐の長宗我部盛親が構えている。
三成勢は、見事なまでに徳川勢を取り囲む形で布陣することに成功した。このまま戦に突入すれば、東軍の負けは歴然だ。まんまと大きな狸がかかったと喜ぶ嶋左近だが、三成は小早川の寝返りを気にしていた。
勝ってみせる、勝たねばならぬ!
しかし不思議と家康の気分は悪くなかった。根っからの武士である忠勝と直政は、殿と戦うのが好きだとこの大戦が楽しみでしかたない。
「わしは感じるぞ!先に逝った者たち⋯⋯、今は遠くにおる者たち⋯⋯、その皆の心がここに集まっていると。皆とともにいる」
そんな家康の思いが天に届いたかのように、霧が晴れてきた。
「ぼちぼち行くか、直政。福島殿が先陣を切るといきまいておるぞ」
忠勝が愛槍の蜻蛉切りをつかむと、「先陣は徳川でなければならぬ!この井伊直政にお任せを!」と直政が名乗り出る。
「では直政、先陣を任せる。思う存分、暴れてまいれ!」
「殿、おいらを家臣にしてよかったでしょう?」
「あぁ」
「おいらもです。家臣に取り立てていただいてありがとうございます」
直政勢が動くと福島正則らも続く。各地で激しい戦闘が始まり、三成の思惑どおり、戦いは地の利を活かした西軍が優位に進めていた。
しかし、決定打となりうる松尾山の小早川勢にまったく動く様子がない。どちらに転ぶか、慎重に機をうかがっているのだ。
小早川秀秋は家臣たちに言う。
「戦の成り行きだけを見極めよ、今のところ五分と五分」
吉川が家康の背後を突けば小早川も動くだろうが、吉川率いる毛利勢は「腹が減っては戦ができぬ」とのらりくらりと言い訳して一向に動かない。吉川が動かないから後ろに陣取る長宗我部も動けない。
家康ー! 家康の賭けに気づいた三成が叫ぶがもう遅い。
大坂城では「早く秀頼を出陣させろ、毛利を呼べ」と茶々が叫ぶ。そこに北政所の遣いとして来た阿茶を片桐且元が案内する。
阿茶は、要らぬお世話とは存じましたが、北政所様も同じ考えなのでここに来た。秀頼はこの戦に関わらない方がいい。徳川の調略は深いところにまで進んでいる。すでに勝負に決する頃合い。毛利が出陣しないのがその証。我が殿は信頼できるお方。秀頼を徳川に預けるように進言する。
身のほどをわきまえよ!二度と来るな、帰り道には気をつけろと言って茶々は阿茶を帰す。
家康、ここ一番の大勝負
桃配山の陣では、家康が冷静にこの戦況を見ていた。小早川も吉川もまだ動かない。
「よし、⋯⋯⋯前へ出る」家康は毅然と立ち上がった。
「敵に時を与えてはならぬ。今このとき、一気に勝負をかける!行くぞ!」
「おお!」
ここが勝負どころと見た家康軍が三成の目の前に進軍すると、三成は「面白い」と言い総がかりで攻めに行く。「総がかりじゃ、家康の首を取れー」
三成たちも、まさか敵の総大将・家康が戦場のど真ん中に出てくるとは思ってもみなかったに違いない。「おかげで敵はひるみ、味方は士気が上がっております」
忠勝が来て、家康に報告する。
家康は、左手の松尾山を見上げる。
「⋯⋯決断するときぞ、小早川」
「さすが戦巧者よ」。徳川に寝返った小早川秀秋は、大谷刑部の陣を目がけて一斉に山を降りる。
「治部よー、さらばだ」刑部は友に別れの言葉を叫んだ。
激しい戦いの中、西軍の大量の兵が逃走して行く。
「これだけの兵が一斉に逃げ出すとはえらいものですな」と渡辺守綱(木村昴)。
「おめでとうございます」と忠勝。「大儀であった」と労う家康。
勝利を治めた徳川軍だが、四天王の1人、直政は徳川本陣の前を敗走していく島津勢を深追い。忠勝が止めにいくが間に合わず直政は腕に銃創を負ってしまう。
関ヶ原の戦い、その後
京・新城では、大坂から戻った阿茶に北政所が戦の終わりを告げた。
大坂城で終戦の知らせを受けた輝元は、三成のしくじりだと責任をなすりつける。茶々は輝元を叩くと、「そなた任せたのが過ち」だと冷たく言い放つ。豊臣側の武将たちはそれぞれ処分を受ける。
・毛利輝元 徳川方との交渉のうえ大阪退去、減封
・宇喜多秀家 改易、配流
・上杉景勝 減移封
・真田昌幸 紀伊九度山に蟄居
・小西行長 京・六条河原で斬首
・大谷刑部 自害
・嶋左近 行方不明
・石田三成 逃走
直政の傷の手当てをする家康。殿の前を素通りさせたら徳川の名に傷が付く。しっかり打ちのめしてやりましたと自慢する直政。
「ようやった」と褒めてあげる家康。
「殿⋯⋯ついにやりましたな。天下を取りましたな。信長にも秀吉にもできなかったことを殿がおやりになる。これから先が楽しみだ」直政はうれしそうに微笑んだ。
「関ヶ原の戦い」は、死者8000人以上を出して終結した。
家康と三成の別れ
戦場を離脱した三成は、伊吹山に逃れたのち伊香郡古橋村にて捕縛。「関ヶ原の戦い」から8日後の9月22日、近江・大津城で家康と対面した。
「⋯⋯戦なき世に出会いたかった」「さすれば無二の友となれたはず。このようなことになったのは行き違いが生んだ不幸。甚だ残念だ」
家康の言葉に三成は意外な返事をする。
「さにあらず。これは豊臣の天下のために成したること。その志、今もってみじんも揺らいでおらぬ」
「何がそなたを変えた。共に星を眺め、語り合ったそなたはたしかに同じ夢を見ていた」
「これから一緒に戦なき世を作って行くものと思っていた。なぜこのような無益な戦を引き起こした。死人は8000を超える未曾有の悲惨な戦ぞ!」
「何がそなたを変えたのじゃ、わしはその正体が知りたい」
ハハハハハハッと空笑いをする三成。
「思い上がりも甚だしい。私は変わっておりませぬ。この私の内にも戦乱を求る心があっただけのこと。一度火がついたら止められない、恐ろしい火種が。それは誰の心にもあるもの。ご自分にないとお思いか」
「自惚れるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは私であり、あなただ」
「そして乱世を生き延びるあなたこそ戦乱を求るもの。戦なき世など成せぬ。まやかしの夢を語るな!」
家康は静かに答えた。
「それでも、わしはやらねばならぬ」
三成は唇をかみしめ、悔しさからか顔をピクピクと引きつらせていたが、最後の表情は涙を堪えているようでもあった。
同年10月1日、石田三成は京の六条河原にて斬首される。享年41。
【どうする家康】43話の感想とレビュー
合戦シーンでは、最大のクライマックス「関ヶ原の戦い」が描かれましたが、実戦のシーンは5〜6分。あっという間に終わってしまいました。『真田丸』のナレーション1分足らずで終わった伝説の「超高速関ヶ原」よりは長かったし、そこに行き着くまでの過程はじっくり描かれましたが、ちょっとあっけなかったなと。
その「関ヶ原の戦い」よりも尺をとって丁寧に描かれたのが、敗戦後逃亡していたが捕まってしまった三成と家康が最後の対峙を果たす場面です。
約9分ぐらい、つまり「関ヶ原の戦い」の実戦場面よりも長く時間をとって描かれました。たぶん、家康と七之助が高校時代からの本当の親友だから「親友」をテーマに語らせたんでしょうね。
ところが、親友の演技合戦では、複雑な心境を顔筋を駆使して繊細に演じた七之助の演技がすごかったと絶賛される声も。
七之助の石田三成はさすが。
— Joy (@Joy07594772) November 12, 2023
表情、言葉の言い回し、声色。
目や眉の演技は圧巻。
「どうする家康」の台詞であぁ…と現実戻されたが…
キャーキャーではなく、こういう役者の新たな一面に痺れるのを観られるのが、撮影期間の長い大河の魅力なのに物足りない。#どうする家康反省会
早、どうする家康
— さわぽん (@sawapon1188) November 12, 2023
関ヶ原を見て
石田三成役
中村七之助さんの最後の演技の
表情が
凄かったです‼️🥺🥹😭#どうする家康
ただ、大敗して斬首を迎える、つまり死を目前にしている三成と、天下人となることが決まった家康とでは置かれた状況が全然違う。
松潤もむしろ、余裕を見せている演技が正解なのかも。
「戦のない世に出会えたら、無二の親友になれたのに」という残念さ、無念さは感じられませんでしたが、家康は三成と戦うことに決めた時点で、親友としての情はキッパリ捨て去っていたのではないでしょうか。ただ、最後に三成の口から「なぜ変わったのか」を聞きたかった。
その他のところでいえば、ガイドブックのあらすじの小早川秀秋は、渡辺守綱が打った一発の空砲でやっと出た感じでしたが、あくまで戦の名手としての家康を選んだという解釈に変更。
嶋左近が三成を逃すシーンもあったけれど、カットされていたのが残念。
「殿と戦うのが楽しい」「おいらを家臣にしてよかった?」みたいな直政のセリフは、直政の死亡フラグでもあると思いつつ、うーん、このときすでに直政がアラフォーだったことを考えると幼稚なのではないかと残念でした。
記事内画像出典: (C)NHK
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