『どうする家康』松本潤の老けメイクの変遷と違和感!急にシミ・シワが増えて太った!?

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どうする家康40話

『どうする家康』家康(松本潤)の老けメイクの変遷と違和感急にシミ・シワが増えて太った!?
第40話「天下人家康」が10月22日に放送されました。老けメイクのクオリティがすごいと話題に。でも前回からたいして時を経てないはずなのに、急に老けすぎでは? そこでここ数年の老けメイクを比較してみました。

目次

『どうする家康』40話「天下人家康」の内容

【どうする家康】40話では、秀吉の死後、石田三成(中村七之助)が朝鮮出兵から戻った諸大名たちと揉め始める。もっとも太閤殿下の言うことに忠実に従ってきた三成だが、三成にはついていけない、三成ではまとめられないという声が高まり、諸大名が猛反発。
盟友であったはずの家康(松本潤)とも敵対していくようになる様が描かれました。

1595年 忠次と最後の海老すくい

徳川秀忠(森崎ウィン)の結婚を報告しに酒井忠次(大森南朋)と最後に会ったときの家康。白髪はだいぶ増えてきて、若干、目尻にシワがありますが、シミは目立ちません。海老すくいで笑顔も見られたし、殿感も出てきて、きれいな家康でした。

どうする家康39話

1598年9月18日 秀吉の死

どうする家康1598年

かなり体が弱ってきた豊臣秀吉(ムロツヨシ)に呼び出された家康。猿芝居で死んだふりをしたり、相変わらずですが、家康が天下を取るんだろうと、暗に後を託していました。
「猿芝居が!大嫌いじゃ」怒った家康は、1595年に酒井忠次と最後に会ったときとそれほど変わっていないように見えました。

秀吉が死んだのは1598年9月18日。家康が来たときと茶々が看取るまでの時間の経過はとくに描かれなかったので、劇中では家康が最後に秀吉に会ったのは、その少し前だと思われます。

1598年秋 五大老・五奉行集結

秀吉の死後、五大老・五奉行が集まったときの家康。劇中では「秋」とされていましたが、この後に朝鮮出兵を引き揚げたのが「11月(1598年12月)」となっているのでその前。秀吉が死んだのが9月18日なので9月中か10月の話だと思います。

すると、どうでしょう。秀吉と最後に会ってからわりとすぐなのに、家康が急に老けてしまいました。顔にはシミ、シワも多くなったし、体格もどっしりとしていた。

眉毛や髭は、光の加減かもしれませんが、黒かったり、白髪が目立ったり…。

1599年4月 前田利家の死と石田三成襲撃事件

石田三成と諸大名たちの揉め事を心配しながら前田利家が亡くなったのは、慶長4年閏3月3日(1599年4月27日)。劇中では家康がその1か月ぐらい前に会いに行ったことになっているので、1599年3月下旬頃と思われる時点での家康は、白髪もシミもすっかり増えて、老人に近づいている感じでした。

前田利家が死ぬとすぐに石田三成襲撃事件が勃発します。そのとき、治部殿を思って星を見上げたときの家康は、眉毛などが少し黒く戻って若返っていたような(笑)。

松潤の老けメイクはすごい?変?

だんだん狸ジジイぶりも板についてきて、老けメイクのクオリティは、シミとかシワとかリアルで素晴らしいと高評価な声が多かったですね。

筆者もたしかにクオリティはすごいと思ったのですが、その分、劇中で老けるのが急すぎて、違和感があったなぁと。数日〜1か月ぐらいしか経ってないはずなのに???

また、家康と一緒に老けていたのが目立ったのは、本多正信(松山ケンイチ)と前田利家(宅麻伸)。ほかの人はあまり変化ありませんでした。本多忠勝は剛毛設定なのかなと思いますが。

家康が全然老けないときは、それはそれで「全然老けない」と思ってもいたのですが、今回はちょっと急すぎたし、老け方については前回とうまく繋がってなかったと思います。

それにしても1599年4月時点で家康は57歳。ちょっと老けすぎではと思いましたが、秀吉も利家も亡くなったのが62歳であの老けメイクとすれば、それほどでもないのでしょうか。利家はさすがに老けすぎな気がしますが…。

家康は75歳で亡くなるまでまだ18年もあるので、おじいさんになったときはいったいどんなメイクになるのでしょうか。かなり作り込まれたリアルなメイクになると思うので、楽しみです。

記事内画像出典: (C)NHK

どうする家康40話

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