【おかえりモネ】37話|りょーちん(永瀬簾)の大丈夫が切ない
【おかえりモネ】37話
朝ドラ【おかえりモネ】第8週「それでも海は」第37話が2021年7月6日(火)に放送されました。
りょーちん(永瀬簾)と新次(浅野忠信)の家族、美波(坂井真紀)の過去が語られた第37話。
りょーちんの「大丈夫」が、新次の留守電を聞いての涙が、「かもめはかもめ」のカラオケが切なすぎて…
今回は【おかえりモネ】37話のストーリーと感想について。
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【おかえりモネ】37話のストーリー
【おかえりモネ】37話の内容は…
亜哉子(鈴木京香)が新次(浅野忠信)と会っていた理由は、新次の通院を手伝っていた。
仮設住宅に戻った新次は「これ治療になってんのかね」とつぶやく。薬の名前はレグテック。「飲酒欲求をおさえる薬です」と説明がある。アルコール依存症の治療のようだ。
「にしても、時間かがったな」と言いながら、携帯の待ち受けに表示された親子3人の写真を見て新次はつぶやく。来週も来ると言って、亜哉子は帰っていった。
同じころ、亮も船内のベッドで写真を見つめて涙していた。親子3人が肩を組む写真…。
6年前。2010年4月。
かつて、永浦家と及川家は家族ぐるみで仲が良く、耕治(内野聖陽)と新次、新次の妻・美波(坂井真紀)は、亀島でともに育った幼なじみだった。
新次は、新しい船を作ることを決めており、その資金繰りを耕治が相談に乗っていた。
1億2千800万の借金を背負うことで、耕治と美波は真剣に話しあっているのに…新次は1千万なんてすぐ返せるから船の設計図を見てほしい、と浮かれていた。
最新エンジンをねだる新次を、耕治がたしなめる。
「大丈夫。財布のひもは私ががっちり握ってっから」と、美波。
「親子で乗るんでしょ? 亮君と」と亜哉子がいうと、「あいつ、高校出たら漁師になるっつってっからな。ヒョロっとしてるけどいけるかなぁ?アハハハハ」と新次。
(耕治が1億といっているのに、新次が1千万というのは数字の大きさを理解していない?)
結局、永浦家で晩御飯を食べるのがいつものながれ。
亜哉子が何度も男に振り返られるほど美人だったと話題に。新次を待ち続けて結婚した美波は「もうね、意地よ! 意地!」という。「しょうがねえだろ。遠洋で海出たら、俺、半年は帰れねえんだから」と新次。
にぎやかに話す大人たち横目に、百音(清原)、未知(蒔田彩珠)そして、亮(永瀬簾)は、静かにおしゃべりを楽しんでいた。
そうして宴会になり、カラオケ大会になるのも、いつものこと。
「いつものようにではわたくしが」と美波が席を立つ。
「でた18番!」
「いつもそれじゃねえか」
旧姓・横山美波、永浦耕治、及川新次、当時14歳の青春ソング・・・「かもめはかもめ」(研ナオコ)を熱唱。みんな笑顔で手拍子して聞いていた。
後日。新しい船に大漁旗を掲げ、船から何か投げる新次。(新築の餅まきみたいなもの?)
親子3人が大漁旗の前で肩を組み合って写真を撮った。
2011年5月。
あの親子写真が泥にまみれ、雅代(竹下景子)は泥をぬぐっていた。。真っ黒に汚れた大漁旗を持つ龍己(藤竜也)。耕治、亜哉子も言葉を失う日々。
百音と未知は、仮設住宅へ行き、(玄関先で)りょーちんに卒業文集を渡した。
「なんかあったら、ごはんとか、うち来て」と百音。
「うん、大丈夫」
りょーちんは笑っていた。
「みーちゃんもありがとう」
りょーちんは、言葉をかけられず沈んだ顔の未知に、来てくれたことを感謝した。
りょーちんが家の中に戻ると、部屋のすきまから、横になっている新次が留守電を聞いて涙しているのが見えた…。
美波からの留守電は、3月11日午後3時10分。
亮が学校にいるから大丈夫なことを伝え、沖に船で出た新次を心配する内容。
「わたしも、いま位牌を持って家を出るところ。お父さん、船、沖に出せた?無理しないでねー」
の声で電話は切れた。
2016年1月。
実家の庭で縄跳びをしている百音。そこに未知がやってきて、「りょーちんのお父さんがいなくなったって。もしかしたら海に落ちたかもって」と告げた。(つづく)
【おかえりモネ】37話の感想
37話は、りょーちん(永瀬簾)と新次(浅野忠信)の家族、美波(坂井真紀)が震災で被害に遭ったことがわかる回でした。
りょーちん(永瀬簾)の大丈夫が切ない
りょーちん(永瀬簾)の「大丈夫」が切なかったです。
このころから、モネは気にかけていたのですね。
りょーちん、笑っていました。微笑んでいました。
その自分の気持ちを殺しての、相手のための、相手に心配をかけたくない笑顔がなんともいえない表情。
そして未知のことを気遣い声をかける、相変わらず優しいです。
Twitterの反響↓
りょーちんの瞳の中の暗闇。優しい声で大丈夫って言ってても、底なし沼みたいに暗い。引き摺り込まれてしまった瞳だ。永瀬君、すごいな。 #おかえりモネ pic.twitter.com/JlMUr7x5b7
— AOI (@1234takatakatan) July 6, 2021
りょーちんあの日を境に柔らかくも他者と透明な壁が出来たことがわかってしまう表情と大丈夫という台詞のトーンだった
及川亮 という役柄をすごい解像度で表現している永瀬廉さん…#おかえりモネ— ましKば (@vorivorivoly) July 5, 2021
留守電の時間は津波の直前
東日本大震災の発生時間は、2011年3月11日午後2時46分です。
美波さんが新次さんに家を出る(避難所に向かう)ところだと留守電にメッセージを残したのは午後3時10分。
午後3時30分頃には最大で20メートルを超す大津波が宮城県気仙沼市を襲っています。
亀島はそれより前だったことでしょう。
「東日本大震災時の気仙沼市の初動対応」という記事では津波の第1波が、15 時 06 分から12分となっています。↓
防災行政無線(移動系)や携帯電話等により、外からの被害を含めた状況等の連絡も入っ
てきますが、その量は極めて少なく、津波の観測に関する市域の情報は 15 時 06 分、本吉
からの引き波の観測マイナス 50 ㎝と、15 時 12 分大島田中浜、津波第 1 波観測(押し波、
引き波は不明)というもので、情報の収集と発信に窮していました。
15 時 12 分の大島田中浜は、気仙沼大島(朝ドラの「亀島」のモデル)の東岸に位置する浜のことでしょう。
美波さんが電話した15 時 10 分は津波の直前も直前でした…。
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画像出典:NHK