【青天を衝け】40話のあらすじと視聴率!栄一を継いだ孫・敬三の人物像とは!?
大河ドラマ【青天を衝け】40話のあらすじと視聴率!
吉沢亮主演の大河ドラマ【青天を衝け】第40話が2021年12月19日に放送されました。
主要人物が次々に亡くなる中、栄一が後を託した孫の敬三。その人物像は!?
ここでは【青天を衝け】第40話の視聴率とネタバレについて書いていきます。
【青天を衝け】40話の視聴率
40話の視聴率は12.1%でした!
0.2ポイントの上昇でした。
【青天を衝け】40話のあらすじ
アメリカでは日増しに排日の機運が高まっていた。実業の第一線を退いた栄一(吉沢 亮)は、日米関係を改善しようと妻・兼子(大島優子)と渡米。特別列車で全米60の都市を巡り、民間外交に奔走する。しかし、その道中、長年の友、伊藤博文(山崎育三郎)暗殺の知らせが飛び込む。一方、渋沢家では、篤二(泉澤祐希)が再び問題を起こし、責任を感じた栄一は苦渋の決断を下す。そんななか、慶喜(草彅 剛)の伝記の編纂(へんさん)は大詰めを迎えていた。栄一は慶喜から意外な言葉を聞かされる。
【青天を衝け】40話のネタバレ
周りに引き留められながらも実業界から引退した栄一(吉沢亮)は、首相を退いた伊藤博文(山崎育三郎)と酒を酌み交わしながら次なる目標を語り合った。栄一は反日感情が高まるアメリカへ日本人のことを理解してもらうため民間外交へ、伊藤は軍の力が今だ大きくもめ事が多い韓国へ二度目の訪問をするというものだった。
栄一は妻の兼子(大島優子)や関係者51人ほどでアメリカ60の都市を横断で往復する旅に出た。各地で工場、エネルギー施設、発電所、農場、大学、福祉施設などの訪問や演説、講演を行なった。どこの都市でも市長や商業会議所のアメリカ人や各地の日本人会から歓迎を受けた。日本との関係をPeaceful war(商売の戦い)と言うタフト大統領の言葉には違和感を感じながらも親和的に終えた後、列車の中で伊藤博文がハルピンで韓国の独立運動家に暗殺されたとの訃報を受け、激しくショックを受ける。
次に向かう排日運動が激しいサンフランシスコでの講演は中止にした方がいいのではと言われた栄一だったが身の危険が危ぶまれる中予定通り行った。その講演の中で相手を理解すれば無益な憎しみ合いや悲劇は起きない。この西海岸も同じだ。と言う栄一の言葉にざわつく場内。しかし「日本人は敵ではない。友だ。互いが嫌がることをするのではなく、目を見て心を開いて手を結び、みんなが幸せになる世を作る。これを世界の信条にしたい。大統領閣下はPeaceful warとおっしゃった。しかし私はあえて申し上げる。No Warだ!。どうかこの心が世界のみんなに広がりますように」という熱い演説は会場の人々の共感を呼び握手を求められた。
その地を離れる時、駅に来た在米日本人の家族に激励される栄一。感激の中、91日間をかけた旅は終わった。
渋沢邸では慶喜(草彅剛)の伝記制作のための聞き取りが進められていた。栄一の孫の敬三(笠松将)は生物に深い興味を示し観察に余念がない。そんな中、篤二(泉澤祐希)が芸者の玉蝶と駆け落ちする事態が起こる。憤慨した栄一は嫡男である篤二を廃嫡とした。
翌年、時代は大正となった。血洗島で思い出を語り合う栄一と喜作(高良健吾)。喜作はこの年74歳の生涯を終えた。
慶喜の伝記の稿本がすべて完成し、栄一が慶喜から受け取った。慶喜は自分がいつ死ねば徳川最後の将軍の名を汚さないかずっと考えてきたと打ち明ける。しかし今、ようやく「生きていてよかった」と言う。「よく生きてくださいました」「そなたもな。共にいてくれて感謝しておるぞ」微笑み合うふたり。
そして慶喜は徳川歴代1の77歳で生涯をまっとうした。
中国で革命を果たした孫文が栄一に会いに来た。孫文は栄一に資金の融通を依頼する。栄一は孫文が経済人となり経済の発展のために使うのなら力になると答える。しかし孫文は内紛に巻き込まれてしまう。
世界情勢は悪化し、ドイツがイギリス、ロシアと対立したことを背景に第一次世界戦が勃発。首相となっていた大隈重信(大倉孝二)は栄一に日英同盟のよしみで東洋および南洋諸島のすべてのドイツ植民地、軍事基地を日本が接収するため実業界にも協力してほしいと言う。しかし栄一は欧州の痴話喧嘩の最中に手を貸すふりをして大陸に手を伸ばそうとしているだけだと突っぱねる。日本の信頼を守るためにそんなことは出来ないという栄一と日本を守るために領土を広げたいと考える大隈は真っ向から対立する。栄一は部屋から強引に退出させられた。
日本はドイツに宣戦布告し、大戦に参加することになった。
そんな記事を読んでいた井上馨(福士誠治)は息を引き取った。
栄一は生物学者になりたい敬三に後を継がせるべく土下座して法科への進学をお願いする。
日本は世界大戦の中、ドイツの植民地を占有して勢力を拡大、シベリアにも出兵した。
そんな日本の動きを心配する栄一だった。
【青天を衝け】40話の感想
主要人物が次々と亡くなり、ラストが近づいてきた感が強くなりました。それもそのはず来週は最終回。長い物語が完結します。
今回は篤二の廃嫡によって栄一を継ぐことになった孫の敬三について少しお話したいと思います。
今回の劇中にも描かれていたように敬三は生き物に興味を持ち、生物学者になる夢を持った人でした。
それが栄一のたってのお願いにより打ち砕かれてしまいます。栄一はこの時、畳に頭をこすりつけるように懇願したと言います。
尊敬する祖父にそこまで言われた敬三は旧制仙台二高に進学、理科を選択せることは叶わず法科を選択します。栄一は自身が立ち上げた渋沢同族株式会社の社長に敬三を据えます。現代で言う”大学生社長”というところでしょうか。
その後、敬三は東京帝国大学へ進学、卒業の後「横浜正金銀行(現在の三菱UFJ銀行)」へ入行、ロンドン支店で3年間働きました。
しかし、夢を捨てきれない敬三は民俗学者の柳田国男と出会い、民俗学に興味を持ちます。学生時代に取集した化石や郷土のおもちゃを使って「アチック・ミューゼアム・ソサエティ」を立ち上げ、研究会を開くのです。ヨーロッパにいた時も美術館や博物館をめぐり教養を深めました。
大正15年には第一銀行の取締役に就任。他にも栄一に関わりのある団体役員も務めます。
昭和6年、栄一が亡くなり名実ともに渋沢家の当主となった敬三でしたが、「銀行業務を楽しいと思ったことは一度もない」と言い切るほど本意ではない日々を送ったようです。
昭和16年には同行の副頭取となり、業務の改善を行いました。翌年、時の総理大臣・東条英機に指名され意にそぐわないまま日銀の副総裁に就任。しかし戦時中のその業務はひたすら赤字国債を発行するだけ…。日銀総裁となっても銀行家としての手腕を振るえることはありませんでした。
敗戦をきっかけに総裁の職から解放された敬三でしたが、戦争責任の処分を受けてしまいます。
その後、幣原新内閣で大蔵大臣に就任した敬三は自ら引き起こした赤字国債乱発によるインフレを終息すべく「預金封鎖」や「新円切り替え」などの政策で対応します。しかし、GHQによる民主化のため職を追われ、戦後の財閥解体や富裕層の狙い撃ちした財産税問題で処分されそうになります。しかし同族会社は財閥ではないと判断され、手続きをすれば処分を免れるはずだったにもかかわらず敬三はあえて処分を受けます。
「にこにこしながら没落すればいい。いざとなったら深谷に百姓として戻ればいい」
そんな考えだったようです。豪邸を差し出した敬三は敷地の脇の執事用の小屋に住み、その土地で野菜を育てて生活しました。育てた野菜をふるまう敬三は生き生きとしていたと言います。
戦後、国際電信電話(現在のKDDI)社長や文化放送の会長を歴任した敬三でしたが、銀行時代に目をかけていた民俗学者の宮本常一が規模が大きくなっていた「アチック・ミューゼアム・ソサエティ」での研究に没頭し資料を印刷物として残す努力をします。それは『忘れられた日本人』などの著作を残します。
また敬三自身も研究活動に時間を割き、漁業史に関する研究・著書を残しました。亡くなるまで文化活動を続け、民俗学の発展に貢献したのです。
栄一の孫として生まれたばかりに望まぬ生涯を送った敬三でしたが、資本家となったことでより多くの研究が報われたということもまた事実なのです。
敬三の生涯はある意味、栄一よりもドラマチックな生涯だったのかもしれません。
記事内画像出典:NHK『青天を衝け』公式ページ
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