【どうする家康】45話|「どうぞどうぞ」「聞いてないよ」ダチョウ倶楽部ネタが火種に!
【どうする家康】45話|「どうぞどうぞ」二条城会見と「聞いてないよ」方広寺鐘銘事件、ダチョウ倶楽部ネタが火種に!
第45話「二人のプリンス」が11月26日に放送されました。成長した秀頼(作間龍斗)に天下を取らせたい茶豊臣と、戦なき世を実現するために天下を返したくない徳川。「大坂の陣」の前哨戦が始まった!
今回は、【どうする家康】45話のネタバレと視聴率・感想・レビューをお届けします。
【どうする家康】45話の視聴率
【どうする家康】45話の視聴率は11月27日(月)にお知らせします。
【どうする家康】45話のあらすじ
【どうする家康】45話のあらすじです。
秀頼が19歳に
大坂城。19歳の立派な青年に育った豊臣家の御曹司・豊臣秀頼(作間龍斗)が宴で見事な舞を披露する。茶々(北川景子)は我が子の麗しい姿を見ながら、秀頼の妻で家康の孫娘・千姫(原菜乃華)に言い含める。天下を治めたのは太閤秀吉。家康はあくまで秀頼が成長するまで「代わり」に政をやっていただけ。秀頼が大人になったら返してもらう約束になっている。もし約束を破れば、戦もやむを得ない。
「欲しいものは力で手に入れる」。それが武士の世の習わしなのだから…。
茶々は、かつてその母・お市が若き日の家康に言った、同じ言葉を千姫にかける。
駿府城。慶長十六(1611)年、将軍職を徳川秀忠(森崎ウィン)に譲り、大御所となった家康(松本潤)は古稀(70歳)を迎え、再び駿府城を居城として大坂をにらみ据えていた。阿茶(松本若菜)が憂いの理由を尋ねると、家康は、昔のことばかり思い出す。わしもそろそろかのうとため息をつく。
徳川は武家、豊臣は公家?
大坂では関ヶ原で敗れて牢人となった者たちを豊臣が大勢抱え込み、施しを与え、鉄砲や武具を集めるなど、戦に備えている。世間では、徳川と豊臣がぶつかるという噂で持ちきりだと本多正信(松山ケンイチ)。正信は秀忠お付きの年部(老中)となり、秀忠とともに駿府にやってきていた。
「この十年、天下の政務を執ってきたのはわれら徳川」。家康のもとで政を進めるのが世の安寧の根本だと秀忠。家康の側近となった正信の息子・本多正純(井上祐貴)も、今や徳川が上で豊臣が下であると、はっきりさせるべきだと主張する。
だが、秀頼が家康におとなしく臣従するとは思えない。従わなければ「力づくで」という正純に、「力づくでひざまずかせるのは危険」と阿茶。
正信は、重要なのは上下関係ではなく、徳川と豊臣が手を取り合っていると世に知らしめることだとして、案を講じる。3月の後陽成天皇譲位の折に秀頼を二条城に招き、家康との顔合わせの場で秀頼を上座に座らせ、しかと崇め奉る。
徳川は武家の棟梁。豊臣は武家ではなく公家ってことに。公家ならば城だの武器だの持つべきではない。
そう述べる正信に「屁理屈ばかり」の才と言う正純。
両家の仲立ちを託された寧々(和久井映見)が大坂へ出向いてくれた。しかし茶々は、つまり天下は返さん、正々堂々と戦もしない。頭を撫でてやるから大人しくしておれということかと腹を立てる。
情けない盗人よ…、と言う大野修理(玉山鉄二)を寧々は注意する。
祖父と父が失礼なことを…と頭を下げる千姫に、「そなたの謝ることではない」と秀頼。
豊臣家は徳川殿の庇護の元にあることを忘れてはならないと寧々。
出ていけば何をされるかわからないと修理。
加藤清正(淵上泰史)が、出ていかなければ心の弱い君と思われるかもしれない。自分が片時も離れず、命に変えて必ず秀頼を守るからと説き伏せると、茶々もそろそろ世に秀頼をお披露目するときかと考える。
嵌めるつもりが嵌められた二条城会見
同年3月28日、秀頼は大坂城を出て、初めてその姿を民衆の前に現した。上方での豊臣人気はすさまじく、麗しい若殿様をひと目見ようと行く先々で熱狂の渦が巻き起こる。
家康が二条城の庭先で正純ら家臣や見物の公家たちと待っていると、ざわめきとともに、大勢の家臣に守られた青年武将が颯爽と現れる。秀頼は、かなりの長身で見目麗しいプリンスだ。
「大御所様! わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じます! 秀頼にございます」。家康の機先を制して、秀頼が駆け寄り笑顔で挨拶する。
「⋯⋯⋯ようこそおいでくださいました。さあ、お入りくださいませ」
「大御所様からどうぞ」
「いえ、お先に」。譲り合う2人。
「大御所様はわが妻のおじい様、なぜ私が先に入れましょう。ささっ、いざ」と促され、家康はやむなく先に入った。
家康と寧々は上座に秀頼を座らせようとする。豊臣は関白に任じられる高貴な家柄。武家の棟梁である徳川は及ばない。秀頼が上段に座るのがしきたりだと説明する家康だが、秀頼は従わない。
寧々は、2人とも上段に向かい合って座ったらどうかと提案。家康は拒むが、秀頼は「意地を張るのも大人げない、横並びにいたしましょう」と言い、家康の手を取り上段に座らせる。しかしその後すぐに自分は下段に戻ってしまう。
「大御所様、長らくのご無沙汰、大変ご無礼いたしました。秀頼、心よりお詫び申し上げまする。何卒、お許しくださいますようお願い申し上げまする」と、深々と伏す。
「武家として、徳川殿と手を携えてともに世を支えてまいりましょう」
秀頼の余裕の笑みに、その狙いが見えた。
こちらの作戦を逆手に取られ、秀頼にまんまとしてやられた。向こうが一枚上手だったのだ。もちろんのその背後には茶々がいる。
秀忠のコンプレックスと苦悩
江戸城。秀頼が家康にひざまづいてくれたと報告を受けた秀頼は「よかった」と安心するが、「よかったのでございましょうか」と不安を口にする妻の江(マイコ)。正信も「えらいことじゃ」と頭を悩ませていた。
駿府城。案の定、この二条城会見で秀頼は「慇懃」「ご立派」と世間の称賛を浴び、家康は「無礼」「恥知らず」とと評判を落とし、大坂には前にも増して牢人が集まっている。「してやられた」と悔しがる正純。
「秀頼様というお方、どうご覧になりました?」疲れ切った家康に、阿茶(松本若菜)が聞く。
「涼やかで様子のいい⋯⋯秀吉じゃ」。見た目は似てもにつかぬ長身で知的な美男だが、中身は秀吉だ。
そんな秀頼と同じ2代目である秀忠は、秀頼にしてやられたこと、正信から「偉大なる凡庸」と評されたことに悩み、夜もよく眠れずにいた。
兄・今川氏真(宗誾)との再会
慶長十七(1612)年、駿府城。正純は三浦按針(村雨辰剛)に西洋の時計を修理させた。しかし家康が安針を呼んだ本来の目的は、イギリスの大筒(大砲)の調達。恐ろしい道具だからと気が進まない安針。でもそれは戦うためのものではなく、戦を防ぐためのもの。大きな力を見せつければ攻めてくる者もいないだろう と家康は説得する。
家康は、時を刻む西洋の置き時計を見ながら、これまでのことを思い出す。「戦なき世など為せぬ。まやかしの夢を語るな」という三成の最後の言葉が頭をよぎる。
そこに現れた客人は、今川氏真(溝端淳平)だった。家康の庇護のもとに妻の糸(志田未来)と悠々自適に過ごしており、現在は今川宗誾と名乗っている。糸と歌を詠む日々を送っているという。
羨ましいという家康。宗誾は家康への思いを語り始める。
かつて「そなたはまだ降りるな」と言った。「そこでまだまだ苦しめ」とも言ったが、まさかこんなに長い間になろうとは。でももう少し。父・義元が目指した王道の世を為してくれ。見違えるほど成長した、立派になったと褒める宗誾に、成長などしていない、平気で人を殺せるようになっただけ。戦なき世なんて来ると思うか? 1つの戦が終わっても新たな戦を求めて集まる者がいる。戦はなくならん…。わしの生涯はずっと…、死ぬまで…、死ぬまで戦をし続けて…と涙を浮かべる家康。
宗闇は家康を抱きしめ、「弟よ」。何かあればこの兄が聞いてやる。そのために来た。お主に救われた命があることを忘れるな。本当のお主に戻れる日がきっと来る…。
【どうする家康】45話のネタバレ
【どうする家康】45話のネタバレです。
秀頼の京大仏再建・開眼供養
二条城会見以降、秀頼は目覚ましい活躍を見せ、豊臣の威光を復活させる大事業を進めていった。
慶長十九(1614)年春・大坂城。秀頼は、京の方広寺に大仏殿を再興した。この巨大な京大仏の再建は、亡き秀吉の悲願。一度は失火で頓挫したものの、片桐且元(川島潤哉)が中心となり行った。秀吉の十七回忌に当たるこの年に開眼供養を行うのは秀吉も喜んでいるだろうと秀頼。
開眼供養の日取りは秀頼の生まれた8月3日とし、諸国の大名、公家、商人に至るまで上下の区別なく万民が豊臣の名のもとに集う、前代未聞の盛大な催しとなる。もちろん徳川も呼ぶと片桐。
これからますます輝きを増す旭日の若君と齢70を超える老木。それが朽ち果てれば後に残るのは凡庸な2代目。比べるまでもない。大野修理は鼻で笑う。
家康の秀忠への思い
駿府城。秀忠は、京大仏の開眼供養だけはどうにかしてくれと駿府城に参じて家康に泣きついていた。
「間違いなく豊臣の威光、ますます膨れ上がります!正信にもそう申しておるのに⋯⋯!」
立派な大仏を作っただけだから…と正信は、止めさせるわけにはいかないことを示唆。阿茶と正純がとりなすが、秀忠はまるで自分に自信がない様子。
世間で流行りの歌。
「御所柿はひとり熟して落ちにけり。木の下にいて拾う秀頼」
つまり、老いた家康が死ねば秀頼はその積み上げてきたものを拾うだけだというのだ。
自分は、この歌に名前すら出てこない。秀頼には「負ける気しかしない」。家康の才も受け継いでいないし、家康がいつ死ぬかと思うと夜も眠れないなどと、泣き言ばかりを吐く秀忠。
「そなたはな、わしの才をよく受け継いでおる」
「まさか…、どこが!?」
かつての自分と同じく、秀忠の才は弱いところ、そしてその弱さを素直に認めることができるところだ。家康は戦乱の中でそれを捨てざるを得なかった。捨てずに持っていた頃のほうが多くの者に慕われて幸せだった気がする。
「わしはそなたがまぶしい。それを大事せい」
「秀忠、よいか。戦を求める者たちに、天下を返すな。武功に生きる者たちの世に戻すな」
家康は、かつて自分が今川義元に問われたように秀忠に問う。王道と覇道とは?
「武をもって治める覇道は、徳をもって治める王道に及ばぬもの」。秀忠もちゃんとわかっていた。
「そなたこそが、それを為す者と信じておる。わしの志を受け継いでくれ」
初めて知った父の思いを、秀忠も涙ながらにしかと受け止めた。
方広寺鐘銘事件が戦の火種に
大坂城。家臣たちが秀頼の剣術の相手をしているが、その腕前は乱世の名将たちを思わせると修理。
惜しいのう。ただ柿が落ちる(家康が死ぬ)のを待つしかないのか…。家康を倒して手に入れてこそ、真の天下であろう? 茶々がそう思っていると、片桐が梵鐘に刻む銘についての案を持ってくる。
面白い、面白いのう。何かを閃きニヤリとする茶々。
駿府城。正純が、梵鐘の銘が問題だと報告に来る。
「國家安康」家康の諱を刻み2つに切り分けている。
「君臣豐樂」豊臣こそが「君」であるの意。
金地院崇伝(田山涼成)と林羅山(笑い飯・哲夫)などの識者を呼び、意見を聞く家康。
とんでもない一手を打たれた。上手に少しずつ力を削ぐことは無理のようだと正信。おそらく(戦は)避けられませぬ。
とうとう、戦か…。覚悟しながらも深いため息をつく家康の目には涙が滲んでいた。
【どうする家康】45話の感想とレビュー
今回のポイントは、タイトルにあるように「二人のプリンス」と、「二条城会見」「方広寺鐘銘事件」でした。
2人のプリンスとは、徳川秀忠と豊臣秀頼、また徳川家康と今川氏真の2組のこと。
・したたかに威光を放っていく秀頼に「負ける気しかしない」とコンプレックスを抱く「大いなる凡庸」秀忠の苦悩。
・幼い頃は兄弟のように育った家康と氏真が再会。家康の苦しみを氏真が受け止める。
劇中の現在、秀頼にコンプレックスを感じている秀忠は、かつて氏真にコンプレックスを抱いていた家康の姿にも重なりました。しかし、その氏真は、誰よりも愛されたかった父・義元に目をかけられていた家康にコンプレックスを抱いていました。自分は人一倍研鑽を重ねているのに、どうして父は自分ではなく家康を愛するのか…。
もちろん義元は氏真を愛していたし、認めていた。愛すればこそ厳しくしてきたけれど、それを伝えられないまま、桶狭間で死んでしまった。その愛情を後に伝えたのは妻の糸でした。
家康も、自分と似ている弱虫な秀忠がかわいいし、その弱さを出せる秀忠がまぶしい。ほかに叱れる人がいないからこそ厳しく接してきた。しかし、豊臣との戦いが避けられないかもしれない重大な局面で秀忠の苦悩を知り、正直にその愛情を秀忠に伝えました。
まるで今川義元が氏真に伝えたかったという思いも一緒に伝えたような感じで心が温まりました。
⚫︎二条城会見
本多正信が「武家と公家」の棲み分け作戦に出ましたが、茶々と秀頼はそれを察知したのか、逆手に取られてまんまとしてやられてしまいます。やはり豊臣は侮れませんね!秀頼がその場で判断したとしたら、恐るべし!
⚫︎方広寺鐘銘事件
徳川からすれば「聞いてないよォ」という鐘銘の内容が物議を醸し出します。こちらも「ダチョウ倶楽部」ネタ。そういえば、22話でも「どうぞどうぞ」が話題になりましたね。
古沢良太さんは、ダチョウ倶楽部のファンなのでしょうか?
記事内画像出典: (C)NHK
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