『虎に翼』寅子のモデル・三淵嘉子さんの略歴を紹介!初の女性判事になった後は?
伊藤沙莉さん主演のNHK朝ドラ「虎に翼」の主人公は寅子(ともこ)。
その寅子のモデルは三淵嘉子(みぶち・よしこ)さんです。
一体どんな人物なのか、略歴などを紹介します。
今回は『虎に翼』寅子のモデル・三淵嘉子さんの略歴について。
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目次
『虎に翼』主人公のモデル・三淵嘉子さんの略歴
三淵 嘉子(みぶち よしこ)…1914年〈大正3年〉11月13日生まれ。1984年〈昭和59年〉5月28日)没。日本初の女性弁護士の1人。
- 1914年:台湾銀行勤務の武藤貞雄とノブの長女として、シンガポールにて生まれる。
- 1932(昭和7)年3月:東京女子師範学校附属高等女学校(お茶の水女子大学付属高等学校の前身)卒業。
- 1933(昭和8)年5月:弁護士法改正。女性も弁護士になることが認められる。
- 1932(昭和7)年4月:明治大学専門部女子部法科に入学。
- 入学する際、母親のノブは法律の勉強をしていては嫁の貰い手がなくなるからと猛反対した。
- 1935(昭和10)年3月:明治大学専門部女子部法科を卒業。明治大学法学部に編入へ。
- 1938(昭和13)年3月:明治大学法学部を卒業。
- 同年:高等試験司法科試験に合格。
- 第二東京弁護士会で、1年半の弁護士試補の修習。
- 1940(昭和15)年6月:弁護士登録(第二東京弁護士会所属)。
- 1940(昭和15)年7月から明治大学専門部女子部法科の助手に。
- 1941(昭和16)年11月5日に、実家に書生として出入りしていた和田芳夫と結婚。【結婚】
- 同年12月:第二次世界大戦に突入。
- 1943(昭和18)年1月:第一子の芳武が誕生【出産】
- 1944(昭和19)年6月:芳夫が召集される。
- 1944(昭和19)年8月:明治大学専門部女子部助教授に。
- 1945(昭和20)年8月:終戦
- 1946(昭和21)年5月23日、芳夫が上海から引揚途中の長崎で病死。
- 1947(昭和22)年3月:裁判官採用願を司法省に提出。
- 同年6月:司法省に入って勉強するよう勧められ、司法省民事部に入る。
- 同年11月:明治女子専門学校教授に就任。
- 1949(昭和24)年6月:東京地裁民事部の判事補に任用。【女性の裁判官としては2番目の採用】
- 同年5月から約6ヶ月間、アメリカで家庭裁判所を視察。
- 1951(昭和26)年4月:明治大学短期大学兼任教授に。
- 1952(昭和27)年12月:名古屋地裁に転じ、初の女性判事となる。
- 1956(昭和31)年8月:最高裁調査官であった三淵乾太郎と再婚。【再婚】
- 1965(昭和40)年4月から1972(昭和47)年:明治大学短期大学兼任講師に。
- 1972(昭和47)年6月:新潟家裁所長に就任(女性として初の裁判所所長)。
- 浦和家裁所長(昭和48年11月~53年1月)・横浜家裁所長(昭和53年1月~)も務める。
- 1979(昭和54)年11月13日:定年退官。
- その後は弁護士業務の他、労働省男女平等問題専門家会議座長、東京家裁調停委員兼参与員、東京都人事委員会委員、労働省婦人少年問題審議会委員などの要職を歴任。
- 1984(昭和59)年5月28日に死去、享年69歳
初の女性判事になった後は?
三淵さんは、初の女性判事になった後は、女性として初の裁判所所長になっているのですね。
家庭裁判所の創設にも関わっているようですよ。
ドラマでの裁判官としての勇姿も期待してますが、家庭裁判所創設のストーリーもあるのか楽しみ。
連続テレビ小説「虎に翼」は2024年4月1日スタート!お楽しみに♪