【アメリカに負けなかった男】原作ネタバレ!ラストは富士山を見て息を引き取るか?

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画像引用元:テレビ東京公式サイト

特別ドラマ【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】の原作は吉田茂の長女・麻生和子著『父 吉田茂』です。原作のネタバレには、歴史的場面の真相やエピソードが散りばめられています。ドラマではやはり、ラストは吉田茂(鶴瓶)が富士山を見て息を引き取る場面が描かれるでしょうかーー。

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【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!原作が平易でおもしろい!

原作としての『父 吉田茂』

テレビ東京の公式サイトによると、特別ドラマ【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】では、麻生和子さんによる『父 吉田茂』が原案として紹介されています。

原案なのでもちろんドラマと違いますが、本書にはたいへん平易な言葉が並んでいて、読みやすい本となっています。1センテンスが短く、言い回しがシンプルで、まるで分かりやすい文章のお手本のよう。

たとえば印象に残ったのはこちら。マッカーサーの奥さんについて、下のような箇所がありました。


ただし、この人の奥さんは飾り気のないとてもいい人でした。アメリカ人にしては小柄な方で、私とほとんどおなじくらいの高さでした。

(『父 吉田茂』マッカーサーと父とより)


気取らず淡々と、こんな表現ができる和子さんは素敵な方だと思います。また、身近にいた人にしか分からない様々な逸話もたくさん、綴られています。

吉田茂画像引用元:Amazon

『父 吉田茂』の目次

『父 吉田茂』では、階層なく多数の目次が並んで構成されます。

はじめに: 敗戦国の総理大臣: 政治家の条件: 麻布市兵衛町: 焼け跡の散歩: 組閣: マッカーサーと父と: 近衛さんの死: 外交官の妻: 養父と実父: パリ講和会議: 頭のよしあし: 皇太子殿下のイギリスご訪問: 日本人であること: 父の方針: イタリアの週末旅行: 新橋: 欧米査察の旅: 湯河原: 二・二六事件: 駐英大使: 朝帰り: イギリスの田舎: 狩猟の季節: 外交官の家族: 木の葉のささやき: 帰国: 結婚: 飯塚: 開戦の年: 行ったり来たり: 選挙: 山崎首班事件: 吉田学校: こりん: 財布:ばかやろう: 臣茂: 再軍備を迫られて: 単独講和か全面講和か: サンフランシスコ講和会議: 「パパってばかね」: 政治の裏側: 退陣: 大磯: マスコミ嫌い: おしゃれ: 富士山: 

麻生和子(書籍でのプロフィール)
(1915-1996)中国・安東生れ。聖心女子学院卒業。吉田茂の三女として、首席全権の私設秘書を務め、1951(昭和26)年9月のサンフランシスコ講和条約の締結会議などに同行。日英協会理事、あけの星会会長、東京都共同募金会副会長、麻生セメント会長を歴任する。麻生太郎元内閣総理大臣は長男、寛仁親王妃信子殿下は三女。

*『父 吉田茂』の最初の発行は光文社で、初版が1993年12月でした。それまで断り続けていた執筆を、和子さんが亡くなる3年前に決断したのは、後世のためにも幸いだったと言えるでしょう。

【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!マッカーサーも爆笑した!

マッカーサーと折衝する立場になった吉田茂氏。二人とも激しい性格なので、交渉は一筋縄ではいかなかったようです。終戦直後、昭和20年はコメが不作でこのままでは一千万人の餓死者が出るというウワサが広がっていました。まだ外相だった吉田茂氏が、食料不足の窮状をマッカーサーに訴えました。

その時、食料不足の数字として、農林当局の出した450万トンをそのまま伝えたのですが、アメリカ側が自分たちで数字を計算し直したところ、70万トンで足りると判明。マッカーサーは呆れ、日本の数字がたいへん杜撰だと指摘しました。


そこで父が
「もしも戦前にわが国の統計が完備していたならば、あんな無謀な戦争はやらなかっただろうし、またやれば戦争に勝っていたかもしれない」
といって笑うと、マッカーサーもいっしょに笑いだしたのだそうです。

(『父 吉田茂』マッカーサーと父とより)


また、マッカーサーが笑うしかなかった他の場面もあります。彼がいつもの習慣で、部屋の中をずっと歩き回りながらしゃべるのを見て、吉田氏が「ライオンの檻の中にいるみたいだ!」と言いました。気難しいマッカーサーに冗談を言う人もいなかったあの時代に、二人が決裂しなかったのはウマが合ったのでしょうと、和子さんは書いています。

その続きも有名な話。マッカーサーが葉巻を勧めてくれたけれど、吉田氏が「それはマニラ産でしょう。私はハバナ産以外は吸いません!」と言ったという逸話が収められています。

【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!憲兵連行と二・二六事件

吉田茂、憲兵に連行される

吉田茂氏が戦後すぐに起用されたのは、公式のあらすじにもあるように「大戦に反対して投獄された過去を持つ」から、とされます。

大戦に反対、という話の詳細はこうでした。

戦局が絶望的になるなか、近衛文麿が終戦工作をして、天皇陛下に戦況を申し上げる上奏文を書いた時に、作成を吉田氏が手伝っていました。その上奏文を写して吉田氏が樺山愛輔氏に届けたものが憲兵隊にみつかり、それを証拠として吉田氏は憲兵に連行され、投獄されました。樺山氏が捨ててくれたら良かったのかもしれませんがーー。

この続きは原案本の「近衛さんの死」で詳しく書かれています。強気に見える吉田氏も近衛さんの死にはかなりショックを受けた様子。ドラマの【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】でどれくらい「憲兵に連行」の場面が描かれるか分かりません。しかし吉田茂氏を描く上で欠かせない場面と思いますので、期待しています。

二・二六事件は扱われるか?

『父 吉田茂』で注目されることの一つは、二・二六事件について和子さんによる詳細な記述があることです。(「二・二六事件」の項)。

二・二六事件全貌ではなく、和子さんの祖父・牧野伸顕氏について。牧野氏が別荘として借りていた熱海の伊藤旅館に、和子さんは2月25日の夜に訪ねています。翌日、明け方の襲撃から和子さんが牧野氏を救い出すシーンは緊迫感に溢れ、たいへん興味深い資料ともなっています。
ただ1936年のことであり、この【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】で二・二六事件と牧野氏のことが描かれるかは、やはり微妙でしょう。略されるような気もしています。

【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!こりんを呼んだのは和子

ドラマ【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】において重要なキャストは、こりんとして出演する松嶋菜々子さんです。ドラマになくてはならない存在のこりんさんですが、実際、和子さんとどんな関係だったのでしょう。

あらためて考えると、二人は吉田氏の「娘」と「後妻」。一般には必ずしも良好にいくとは限りません。むしろ、ちょっと微妙ーー。

ところで吉田氏は宴会というものが嫌いで、宴席から早々に離れて、階下の女将さんの部屋でくつろぐような人でした。和子さんにとって、母親が亡くなったあと、自分はすでに麻生太賀吉のもとに嫁いでいますから、そんな父親に誰かいい人はいないかと考えたそうです。


こりんを父が好きだったのは知っていましたし、父のほうも頭の回転が速くてよく気がつくこりんを気に入っていました。あれこれ考えると、結局こりんがいちばん身近に思えます。けれどもあくまでも私がよんだということにしておかなくては、あとあとの押さえがききません。
こりんに来てもらうのはどうかしら?
と父にいうと、
やっぱりお前は頭がいいね
などと、まんざらでもなさそうな顔をしていました。
このとき、来てもらってから、父が亡くなるまで、こりんはずっと大磯で父のそばについていてくれました。  

 (こりん より)


 

なるほど父がよそに女性をつくった等でなく、こりんを「娘が頼んで来てもらった女性」とすることで、娘と後妻は良い関係を保つことができたようです。

ただし本ではこりんさんについての記述はこの項目だけです。多くは語られていません。ドラマでこそ、新木優子さんと松嶋菜々子さんを使って膨らませる部分かもしれません。

 

【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!バカヤロー解散の真相!

吉田茂といえば「バカヤロー解散」が連想されるくらい有名で、まさに今回のドラマ名も【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】ですが、原作ではバカヤロー解散について、以下になっています。


・・・ついつい「ばかやろう」という言葉を口にしてしまったことがありました。
昭和二十八年、それがもとで衆議院を解散するはめになりました。これが有名な「バカヤロー解散」ですが、ずっとあとになって父は、
「あのとき、まるでおれがばかやろうとどなったみたいにいわれているけど、どなりやしなかった。人には聞こえないだろうと思ってつぶやいたのが、マイクにのってみんなに聞こえてしまっただけだよ」
とおかしそうにいっていましたが、さて、真相はどうだったのでしょうか。

(ばかやろう より)


和子さんも「どうだったのでしょう」と言っているくらいですから、実際のところは分かりません。ただ、これをドラマ化したらやっぱり思いっきり「バカヤロー!」と鶴瓶さんが叫ぶような気がします。どうでしょうか。

 

【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!特集・おもしろ場面は放映される?

『父 吉田茂』には、おもしろい小ネタやホッコリする逸話がたくさん出てきます。以下に列挙しましたが、ドラマ【アメリカに負けなかった男〜バカヤロー総理吉田茂〜】で、これらがどれくらい盛り込まれるか、楽しみです。


まずは、吉田茂氏のエピソード

◯護衛のおじいさんに向かって「なにかあったらすぐ逃げるんだよ」いつも言っていた。
(焼け跡の散歩)
◯どんな小さなことでも、人になにかしてもらったら必ず「ありがとう」と言っていた。お座敷の芸者にも行儀をうるさく言った。
(新橋)
議論して負けそうになるとすぐに「うるさい」「ばかやろう」とすぐに言って終わり。
(駐英大使)
◯高知から出馬した時、演説や挨拶がたいへん嫌いで、ひと言「吉田茂です」で終わらせていた。
(選挙)

 

◯演説の会場が小学校だった時に、吉田氏は会場の聴衆が小学生だと思いこみ、子ども向けの話をした。
(選挙)
財布を自分で持ったことがなかった。ある時、財布も持たない吉田氏がタクシーに乗り、三越で降りると、立っていた玄関番の人に「払っておきたまえ!」と言ったので番の男性は従った。
(財布)
◯吉田家から受け継いだ財産は若い時に使い果たし、政治に使うお金は、どこから入ってくるかまったく気にも停めていなかった。
(財布)

 

◯秘書室では「今日は晴れ」「曇天」「嵐」「そろそろ雷」と、吉田氏の機嫌の観測を言い合っていた。雷を落とされやすい人物が来ると、避雷針のようなもので、皆で喜んだ。
(ばかやろう)
◯サンフランシスコ講和条約の演説で、急いで準備した日本語の演説文の用紙は、巻紙というよりトイレットペーパーのように見えた。
(サンフランシスコ講話条約)
◯吉田氏の邸宅では定期的に、仮装パーティーを開いていた。佐藤栄作は聖徳太子に、池田勇人は五高の学生に、など各々仮装した。和子さんはダッコちゃんになったりした。
(パパってばかね)
大磯の家の前でバスガイドが「ここは吉田宅で、2万坪あります」と言うのが聞こえており、吉田氏は「僕の土地は海の向こうまで続いている」とつぶやいていた。
(大磯)
◯皇室英語教師のミセス・バイニングが叙勲された時、吉田氏が「ミセスは初叙かね?」と聞いたが、ショジョかね?と聞いたと誤解された。
(大磯)
◯世界的なヴァイオリニストの演奏の感想を問われ、吉田氏は「ピアノは良かったよ」と皮肉で答えた。しかしマスコミではヴァイオリンをピアノと間違ったと、ゴシップ欄で扱われた。
(マスコミ嫌い)
◯大磯の家に泥棒が入ったが読書中だったので、その件を報告にいったこりんさんに「うるさい」と言って拒んだ。翌日の新聞に泥棒の件が掲載されると「新聞はデタラメを書くね」と言っていた。
(大磯)
若い頃から気に入った生地があると、それで同じ服を2着注文した。(スティーブ・ジョブズ?)
(おしゃれ)

***

一方で麻生和子さんも、文章は淡白ながら人物はかなり跳んでいる女性でした。酒豪でもありました。続いて和子さんのエピソード

和子さんは、お酒を5、6歳から飲んでいた。吉田氏は機嫌がいいと幼い娘のおちょこに注いでくれた。
(朝帰り)
◯和子さんが結婚すると、夫の麻生太賀吉は、お酒もタバコも口にしたことがない人物ということが分かり、そんな人がいることに驚いた。
(結婚)
和子さんは結婚式で、注がれるお酒を捨てて良いことを知らず、式の間に一升くらい飲んでしまった
(結婚)
◯応援演説に行った和子さんは、褒め言葉ばかりの原稿がイヤになり、観客に「あなたがたも頑固でしょうから、同病相哀れんで一票投票してください」と言い、大笑いされた。
(選挙)
◯和子さんは佐藤栄作氏に初めて会って、この人は嫌いだと直感した。しかしカンが当たらなかったと、後日回想した。
(吉田学校)

【アメリカに負けなかった男】ネタバレ!富士山を眺めながらの最後?

さて『父 吉田茂』の最後では、吉田茂氏の臨終場面が淡々と綴られています。


しばらく前から父は床についていましたが、その日は体調がよかったらしく、富士を見たいといいました。看護婦さんに手伝ってもらってベッドから椅子に移し、窓に寄せると、遠くにはっとするほど美しい富士山が見えました。
「きれいだね、富士は」
という父と、しばらくのあいだいっしょに富士山を眺めて過ごしました。
その日、調子のよさそうな父を残して私が渋谷の家にもどる途中、父は息をひきとりました。眠るように静かな最後だったそうです。八十九歳でした。

(富士山 より)


本の最後の場面がドラマで使われるか、分かりません。しかし、こうして見るといつも負荷を抱えながらも、ご本人は怒りたい時には怒り、ずっと身体も健康で、家族や周囲にお世話されながら、幸せな最期だったのではないでしょうか。

 

吉田茂氏の富士山好きはその日たまたまのことではなく、大磯の部屋には、障子を開けるとちょうど枠が額縁になって、富士山がピッタリ見えるような窓が作られたそうです。

ドラマでは、笑福亭鶴瓶さんがゆったりと富士山を眺めたあとで息を引き取るところまで描かれるかーー。何とも言えませんがやはり、最後は日本の独立をかけて闘った政治家が、静かに、日本の美を象徴する山を眺める姿を映してほしいと希望しています。

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