【西郷どん】瑛太演じる大久保利通がしたこととは?怖いようで実は茶目っ気たっぷりな人!
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2018年のNHK大河ドラマ「西郷どん」が始まりました!
西郷隆盛の相棒、大久保利通を演じるのは俳優の瑛太さんです。
大久保利通は怖い人のイメージがあるけど、実は茶目っ気たっぷりな人だった!?
今回は、大久保利通がしたことや、人柄について書いていこうと思います!
【西郷どん】瑛太演じる大久保利通がしたこと
出典:Wikipedia
大久保利通というと、立派なヒゲに西洋の格好をした姿が印象的です。
西郷隆盛は大男だったという話ですが、大久保利通も負けておらず、身長は180cmほどあったといいます。
身長179cmとスラッとしたモデル体型の瑛太さんが演じるということで、体型もぴったりなのですが、顔も似ているように見えてきました。
そんな大久保利通が、歴史上で何をした人なのか見ていきましょう!
【大久保利通がしたこと】その① 島流しの西郷隆盛を救う
島津斉彬に認められ、全国を回る西郷隆盛だったが、斉彬の死と月照をかくまったことにより奄美大島に島流しとなる。
そんな島流しとなった西郷隆盛を救ったのが大久保利通だったのです。
島津久光に囲碁を教える僧侶にまずは近づき、その後、久光に意見できる場所に入り込むことに成功する。
西郷隆盛が藩にとって必要な人物だと説得したのです!
【大久保利通がしたこと】その② 長州藩との間をとりもち江戸幕府を倒す
薩長同盟が結ばれる以前の話。
西郷隆盛と日本を変えようと動き出した大久保利通は、長州藩と協力することが必要と考え、まずは食事会を開く。
しかし、長州藩とはもともと仲が悪く、話が進むどころか、刀が抜かれる一触触発の事態に!
そんなとき、大久保利通が畳をひっぺがし手の上でクルクルと回し、その場の空気を変えたといいます。
その後、幕府が長州を潰そうとし、薩摩も手伝うよう命令されるも、大久保利通がうまく断ったこともあり、その後の江戸幕府を倒すことに繋がりました。
【大久保利通がしたこと】その③ 新政府の体制作り
新政府のトップ明治天皇は17歳と若く、政治とも無縁だったこともあり、それをサポートしたのが大久保利通。
天皇の周りを固める公家がいては日本を変えることはできないと、天皇を京から江戸に移し、天皇の周辺を公家ではなく侍出身の山岡鉄舟などの剣豪をつけたのです。
【大久保利通がしたこと】その④ 西洋文化に憧れ、博覧会を開く
岩倉使節団としてアメリカやヨーロッパを視察した大久保利通は、西洋文化の凄さに衝撃を受け、早く西洋に追いつかなくてはいけないと考える。
そして、欧米で行われている万国博覧会を日本でもやりたいと考え、西南戦争が起こる中でも、内国勧業博覧会を強行し、大成功を納める。
【大久保利通がしたこと】その⑤ 今の日本の基礎を作る
大久保利通は44歳のとき、内務省を作り長官となる。
内務省とは、警察、地方行政など国内政治のあらゆるものを管理する場所で、そこでの長官というのは、今でいうところの内閣総理大臣のような役職だったといいます。
現在の日本の形を作り上げたのです!
大久保利通は怖いけど茶目っ気たっぷり
大久保利通の部下からは「怖くて怖くて仕方なかった」と言われるなど、冷酷な印象の強い人物ですが、実は茶目っ気たっぷりな人だったのです。
ルーツはいたずらっ子
小さい頃に「入来温泉」に通っていた大久保利通は、熱いお湯を冷ます冷水を止めて、大人たちが熱いと驚く姿を見て笑っていたというエピソードが残っているなど、いたずらっ子だった幼少期。
幕府から長州を攻撃するよう言われても、聞こえないフリをしてやり過ごすなど、大人になってもお茶目な部分があったと聞いて印象が変わりました。
大久保利通の最後は暗殺
大久保利通は、1878年5月14日に暗殺されて命を終えました。
西郷隆盛が死んだのは、大久保利通のせいだと恨む侍の手により襲われたのです。
大久保利通の遺体からは、海外にかぶれてしまった大久保利通の写真を見て「あなたの写真は醜態を極めている」と厳しいことが書かれた西郷隆盛からの手紙がありました。
私も「西郷どん」の小説を読んだときは、大久保利通と西郷隆盛は考え方の違いにより、晩年は不仲だったという印象を持っていました。
しかし、本当に嫌いだったとしたら、西郷の手紙を持ち歩くことはしないと思います。
西南戦争のときも西郷隆盛を説得する為に鹿児島行きを希望していた大久保利通。
考え方の違いはあれど、3歳年上の西郷隆盛を兄貴としてずっと慕っていたのかもしれませんね。
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