【べらぼう】30話あらすじと感想!鳥山石燕(片岡鶴太郎)の言葉にネット反響

大河ドラマ「べらぼう」

横浜流星主演の大河ドラマ【べらぼう】30話「人まね歌麿」が8月10日(日曜)に放送されました。

本記事は【べらぼう】30話のあらすじネタバレと感想について紹介します!

【べらぼう】30話あらすじ

天明6年(1786年)、黄表紙の「江戸生艶気樺焼」が売れ、日本橋の耕書堂は開店以来の大盛況となった。一方、小田新之助(井之脇海)とふく(小野花梨)には、長男が誕生。新之助は大泣きする我が子を抱き「お母さんがいいか?」と優しく声をかける。

蔦重(横浜流星)は歌磨(染谷将太)が『人まね歌麿』と噂になっていると知り、かねてよりの計画通り絵師・歌麿の大々的な売り込みに踏み出すことに。蔦重が提案した画題は、枕絵(のちに春画と呼ばれる絵)だ。

蔦重は歌麿に自分ならではの絵を求める。蔦重は「表には流れねえ分、自由。心のまま、我儘に描けるってことだ。どんな女が好みだ? そいつと、どこでどんなことをしてえ? 」 と問う。歌麿は「こういうのは話し合って描くものではない」と独り自室にこもって枕絵の制作に打ち込むことにした。

歌麿は「好きな女……」と思い浮かべる。すると、母(向里祐香)の姿が浮かび、責められる歌麿。さらに、自分たち母子を食い物にした男・ヤス(高木勝也)の姿も現れる。そのふたりの死に関わった歌麿は、描けずに苦しんでいく…。

歌麿は、描き損じを抱えて耕書堂を出た。その描き損じを廃屋の片隅に隠しに行くと…。そこにはうずくまる女がいた。女が顔をあげると、顔を負傷している歌麿の母(※幻覚)だった。女と一緒にいた男を殴りつける歌麿。男をヤスと重ねてしまい、殴ったのか…。

蔦重が歌麿を止める。正気に戻った歌麿。母だと思った見知らぬ女(藤間爽子)は別人だった。

歌麿は「描けねえんだ」「要らねえよな。人まね歌麿で終わる俺なんて」「目いっぱい役に立ちてえとは思ってるんだけどよ……」と蔦重に告げ、泣いた。

その後、鳥山石燕(片岡鶴太郎)が耕書堂に来た。人まね歌麿の筆致を見て、あの時の少年ではないかと思い、訪ねてきたのだ。歌麿は少し遊んだだけなのに覚えていてくれたことに驚く。石燕は「忘れるか、あんなに楽しかったのに。お前は楽しくなかったか?」という。

石燕は「その目にしか見えぬものがあろう。絵師はそれを写すだけでいい。写してやらねばならぬとも言えるがな」「その目にしか見えぬものを現してやるのは、絵師として生まれついた者のつとめじゃ」と歌麿に伝える。

歌麿は「弟子にしてくだせえ。俺の絵が描きてえんです。お傍に置いてくだせえ!」と頼んだ。

石燕の弟子となった歌麿は、耕書堂から出ていくことになった。

歌麿の背を見送る蔦重は「あいつのことを一番わかってるのは、俺だって思ってましたが。素人だったってことですね」と嘆く。母・つよ(高岡早紀)は「あんたには絵を売るって仕事があるじゃないか」 と励ました。

一方、定信(井上祐貴)は、治済(生田斗真)から公儀の政に参画しないかと誘われる。定信は「母の具合が思わしくなく」「今、田安は母が亡くなるまではと、取り潰しの猶予をいただいております」という。定信の母・宝蓮院(花總まり)が当主となっているが、母が亡くなると取り潰しになってしまうということだ。

治済は「たとえ一度取り潰されても、西の丸様の代には必ず蘇らせよう」と伝える。西の丸様とは治済の実子・徳川家斉(長尾翼)のこと。家斉が将軍となったら、田安徳川家を甦らせるということだ。定信は「では政の末席に加わり、田沼を追い落としてみせましょう!」と宣言する。

その後、定信は反田沼派の大名・旗本を固めたり、将軍・家治(眞島秀和)の側室・知保の方(高梨臨)と接触するなど動き出していく。

ラスト。同年7月、大雨が降り、雷鳴が鳴り響く。一橋治済(生田斗真)がびしょ濡れになりながら舞っていた。同じ頃、田沼意次(渡辺謙)のもとに利根川決壊の知らせが入る。治済は天に向かって両手を伸ばし「時が…来た!」と狂気をにじませて笑った。(つづく)

【べらぼう】30話の感想まとめ

鳥山石燕(片岡鶴太郎)の言葉にネット反響

歌麿が枕絵を描こうとして、自分が殺したも同然の亡き母らに苦しめられていく展開に。

そんな歌麿を救ったのは鳥山石燕(片岡鶴太郎)でした。

その目にしか映らぬものを写すだけでいいし、それが絵師の務めである、と…。

シンプルながら、深い言葉だったと思います。

そんな鳥山石燕(片岡鶴太郎)の言葉には多くの反響が寄せられていました↓