【芋たこなんきん】町子のダメ出しが【ちむどんどん】批判にマッチ!視聴者の意見を代弁していると話題に!

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【芋たこなんきん】町子のダメ出しが【ちむどんどん】批判にマッチ!視聴者の意見を代弁していると話題に!

起承転結の「起」がない。エピソードに深みがなく、雑な展開に日々炎上している朝ドラ【ちむどんどん】。

そんな中、BSで再放送中の【芋たこなんきん】のヒロイン町子(藤山直美)の発言が、まさに【ちむどんどん反省会】になっていた!

目次

【ちむどんどん】が批判されている理由

NHK朝ドラという国民的ドラマなのに、起承転結の“起”“承”がなく、いきなり“転”“結”が描かれる。

ドラマには、“どうしてそうなった”“何がそうさせた”という“起”“承”が大切なのに、いきなり事件が起きて“転”“結”だけが描かれ、しかも即座に解決するという雑な展開に不満を持つ視聴者が多いのです。

登場人物も、暢子ら比嘉家の人々の成長のステップのための役割を担うのはわかるけど、切り捨てすぎ。次から次へといろんな人が出てきますが、それぞれのエピソードが浅すぎてなんだか使い捨て感がある。

レギュラー陣でさえ切り捨てる。アッラ・フォンターナの矢作たち従業員が3人も辞めたのに、オーナーの房子や二ツ橋、暢子は1日ちょっと困ったぐらいで、すぐに何事もなかったかのよう。

そもそもフォンターナの従業員は少ないから、普通ならそれぞれのキャラを覚えられるはずなのに、矢作と二ツ橋以外はほとんどセリフもない。だから名前も顔も印象にないし、どんな人なのかも全然描かれていない。矢作たちにしても、雇われ料理人の待遇に嫌気がさしたといきなり辞めるなら、不満が募っていることを匂わせておくべきなのに、江川の回想シーン、一瞬でおしまい。

フォンターナの人たちは、「なぜ辞めたのか」「どうしてこうなったのか」とたいして悩む様子もなければ、怒ったり悲しんだりもしない。暢子にとっては何年も一緒にやってきた先輩だし、房子と二ツ橋にとっても長年勤めてくれた部下のはず。

矢作たちが辞める→オーナー房子がシェフとなり実力を見せつける→暢子が憧れる→店を持ちたいという展開に持っていくためのエピソードだったのでしょうが、脚本からも登場人物からも人に愛がないことばかりが伝わってきます。

【芋たこなんきん】町子のダメ出しが【ちむどんどん反省会】に!?

何かと残念な【ちむどんどん】に比べて、人間の機微を細やかにユーモラスに描いているのが【芋たこなんきん】。小説家・田辺聖子の半生をモデルにしたドラマで、ヒロインを藤山直美が演じています。

94話では、小説家の町子(藤山直美)のもとに通い詰めていた弟子志願の男・二ノ宮留夫(マギー)との会話が話題になりました。

「弟子はとらない」という町子なのに、二ノ宮はお構いなしに家事の手伝いをするなどグイグイ徳永家に入り込んでくる。

しかしどうも二ノ宮には小説家の才能がないようで、二ノ宮の作品を読んだ町子は、それが小説としての体をなしていないこと、つまらないことをズバッと指摘するのです。

私には理解できないことがものすごく多すぎました。
<中略>
小説として面白みに欠けているんですね。
<中略>
やっぱし小説ちゅうのは登場人物がいますよね。

主人公がいてて、ずーっと周りを囲む人がいますよね。

その人たちの人間としてのちゃんと、一人一人の人物が描けてないんです。

で、どうにもね、感情移入できない

主人公にも無理だ。周りにも無理だというとね、気持ちの行き場がないんですよ。

まとめて言いますと、え〜小説としては体をなしていないということなんです。

【芋たこなんきん】94話より

主人公だけでなく周りの人々のことも、人物をしっかり描けていないから誰にも感情移入できないって、まさに【ちむどんどん】への批判そのものです。

【芋たこなんきん】は再放送なので、意図したバッティングではないはずですが、【ちむどんどん】の雑すぎる展開に不満を抱える視聴者の批判ポイントと重なる形となりました。

町子さん、それそれ! よくぞ言ってくれた!と思った視聴者も多いのではないでしょうか。

同じ70年代を舞台にした朝ドラでも、時代背景や人々の機微を丁寧にあたたかく描いている【芋たこなんきん】。

本来は【ちむどんどん】とはまったく関係ない町子の二ノ宮に対する意見がタイムリーにマッチしたダメ出しですが、製作陣もここのところを一度“しんけん”に考えてほしいものです。

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