【朝ドラエール】裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而さんとは?経歴を年表でイッキ見!
【朝ドラエール】裕一(窪田正孝)のモデルは古関裕而!
窪田正孝主演のNHK朝ドラ『エール』が2020年度前期に放送!
主人公・裕一のモデル・古関裕而(こせきゆうじ)さんってどんな人物?
この記事では【朝ドラエール】裕一(窪田正孝)のモデル古関裕而さんについて紹介します。
【朝ドラエール】裕一(窪田正孝)のモデルは古関裕而!
【朝ドラエール】の主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデルは、昭和を代表する作曲家・古関裕而(こせきゆうじ)さんです。
古関裕而プロフィール
〈古関裕而さんプロフィール〉
・本名:古関勇治(こせきゆうじ)
・生年月日:明治42年(1909年)8月11日
・没年月日 1989年8月18日(80歳没)
・出身地:福島県福島市
・配偶者:古関金子
・略歴:1930年に日本コロムビアに作曲家として入社。作曲数は5000曲におよぶ。スポーツ、ラジオドラマ、歌謡曲、演劇、校歌、社歌などジャンルは多岐にわたる。1969年、に綬褒章、1979年に勲三等瑞宝章を受章。
古関裕而さんの年表
古関裕而さんの年表の経歴を年表で紹介します。
古関裕而さんの性格・作曲法
古山裕一(窪田正孝)のモデル、古関裕而さんはどんな性格・人柄なのでしょうか?
性格は仏様!?
窪田正孝さんは古関さんのことを以下のように話しています。
福島市古関裕而記念館に行ったり、関係者の方にお話を伺ったりしたところ、古関さんは繊細で優しい性格の方で、誰のことも悪くおっしゃらず、誰からも悪く言われていなかったそうです。それって、ものすごいことですよね。僕の想像も及ばないのですが、役作りの肝として大切にしています。古関さんは決して人を憎まず、心の真ん中にいつも大きな愛情を持っているような方だったのかもしれません。
https://www.nhk.or.jp/yell/special/interview/03.html
古関裕而記念館を訪問してきたんですけど、そこで驚いたのは、3つの机にそれぞれ五線譜を置いて、同時に3曲作ったという話。それと、誰も古関さんのことを悪くいう人がいないという話。(中略)仏様みたいな人だったんだなと。
NHKドラマガイド連続テレビ小説「エール」Part1(NHK出版)より
悪口を言わず、悪くも言われなかった仏様のようだったそうです。(朝ドラでは音とケンカしたりしますが、基本的には悪口は言ってない印象です。)
生前に共演した萩本欽一さんも同様に「仏陀みたいな人」と発言しています。↓
偉大で謙虚!
古関裕而さんが12年間審査員を務めた「オールスター家族対抗歌合戦」において、司会者だったのが萩本欽一さん。歌が下手な家族に辛口コメントをしてから先生に振っても、温かいコメントで返されたそうです。そして以下のように証言…↓
例えるなら先生はボクにとって“仏陀”みたいに偉大な人。芸能界は実力より自分を大きく見せようとする人がほとんだ。先生は苦労して生み出した曲も、ある日ひらめいた曲のことも、10を1程度に話す方です。それからね、先生の偉大さを感じるのは、人柄だけでなくお家に佇まいも謙虚なこと。
NHKドラマガイド連続テレビ小説「エール」Part1(NHK出版)より
古関式作曲法とは?
朝ドラ『エール』を見ていて、裕一(窪田正孝)の作曲法が小説家みたいに紙をくしゃくしゃ、机に向かってうなってばかり…と思った方も多いと思います。コロンブスレコード社の同期入社となった木枯(野田洋次郎)がギターで作曲するのに!
実は、裕一(窪田正孝)のモデル、古関裕而さんは、母が買ってくれた卓上ピアノを親しんだ少年時代を除いて、50年を超える作曲活動の中で、作曲するときに一度も楽器を使ったことがないと言われます。
いつも五線紙とペンだけを置き、テーマや情景をイメージして、頭の中の音楽を五線紙に書きとるのが古山式作曲法でした。
まとめ
以上、【朝ドラエール】の主人公・古山裕一(窪田正孝)のモデル、古関裕而さんの経歴を年表でみてきました。
若いときは苦労したようですが、後半のヒット曲の連発はスゴイですね。
「紺碧の空」「六甲おろし」「栄冠は君に輝く」などのスポーツ応援歌からラジオドラマ、そしてザ・ピーナッツの「モスラの歌」なんて曲まで幅が広い。朝ドラ『エール』で4月・5月の放送でヒット曲に恵まれないのが不思議なくらい。
どんな曲を取り上げるのか、【朝ドラエール】の放送も楽しみです。
コメント