映画【ホワイトバード はじまりのワンダー】ネタバレあらすじ&名言集!ジュリアンの再起
2024年12月6日(金)から公開された映画【ホワイトバード はじまりのワンダー】。
原作ファンとして、映画だからこそできる想像力の使い方にしびれました。
本記事では、【ホワイトバード はじまりのワンダー】のネタバレあらすじ・名言・原作などについて書いていきます。
映画【ホワイトバード はじまりのワンダー】あらすじ
高校生のジュリアン(演/ブライス・ガイザー)は、転校したばかり。
理由は、前の学校でいじめをして、退学になったからです。
ある日、ジュリアンをたずねてきたサラおばあちゃん(演/ヘレン・ミレン)が、少女時代の話を聞かせてくれました。
おばあちゃんの話は1942年にさかのぼり…。
映画【ホワイトバード はじまりのワンダー】ネタバレ
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映画本編の結末にふれています!未鑑賞の方はご注意ください!
いじめの加害者として学校を退学になったジュリアンは、高校生となったいまも周囲と馴染めずにいました。
そんなジュリアンを見かねて、サラおばあちゃんがやってきます。
サラおばあちゃんは世界的に有名な画家。
ジュリアンは気丈なサラおばあちゃんが大好きでした。
大切な思い出を、ジュリアンに話してくれるというサラおばあちゃん。
映画の舞台は、思い出話の地・1942年のフランスへ
ドイツがパリを占領して2年、自由地区<フリーゾーン>とよばれる田舎町に住んでいたサラ(演/アリエラ・グレイザー)。
愛情深い両親に甘やかされ、楽しい学校生活を送っていたサラには、絵の才能がありました。
サラは、授業中に片想いの相手・ヴィンセント(演/ジェム・マシューズ)をスケッチ。
ひょんなことから、ヴィンセント本人にスケッチを見られてしまったサラが赤面していると、ヴィンセントはこう吐き捨てました。
「絵がうまいな、ユダヤ人のわりに」
笑いながらスケッチブックを床に叩きつけるヴィンセントを前に、恥ずかしさと怒りで立ちすくむサラ。
自由地区にも侵入してきたナチスの影は瞬く間にひろがり、町には「ユダヤ人お断り」の張り紙も目立つ事態に。
ある日、学校までやってきた一斉検挙の手から逃れたサラは、ひとり物陰で震えていました。
そこにやってきたのは、隣の席のトゥルトー。
トゥルトーはポリオのせいで片足が不自由で、つえをついていることで「カニ」をあらわす“トゥルトー”と呼ばれ、からかわれていたクラスメイトです。
サラは彼の存在を知りながらも、まるで空気のように感じてきました。
そんな透明な隣人が、サラを命の危機から救ってくれたのです。
トゥルトーは、下水道をつたって自宅の納屋にサラをかくまいます。
「ありがとう、トゥルトー」
悪気なく口走ったサラに彼は言いました。
「僕の名前はジュリアンだ」
ジュリアン・ボーミエ(演/オーランド・シュワート)のおかげで命拾いしたサラは、そこから1年以上もの時間を納屋で過ごすこととなります。
ジュリアンの両親にもずいぶん世話になり、本物の娘のように接してくれるボーミエ夫妻に心を開いていくサラ。
自分の両親がどこにいるのかさえわからない状況で、悲しみに押しつぶされずに済んだのは、ボーミエ家の存在のおかげでした。
「隣人はナチスと繋がっている」と聞かされていたサラは、納屋の外へ一歩も出られません。
大虐殺は連日おこなわれ、人間の果てしない憎悪を見たサラとジュリアンは、2人だけの世界をつくって希望を保ちます。
次第に、お互いを意識した2人は恋に落ち、ささやかな、それでいて壮大な愛を語らうように。
サラ主導のキスに萌えた
「もうすぐ戦争が終わるかもしれない」というニュースとともに、2人の希望はふくらむばかりでした。
転 善と悪
※まだ映画をみていない方は開かないでください。
サラとの未来を胸に、小躍りしたいほどの幸せで頬をゆるませながら歩いていたジュリアン。
そこに、魔の手が。
「障がい者はユダヤ人と同じ、殺すべき」という暴論のもと、ジュリアンは道すがら捕らえられてしまいます。
ナチスの手先となっていたヴィンセントの差し金
ジュリアンが落としたバッグのなかに、サラのスケッチブックをみつけたヴィンセントが、銃を片手に納屋へとやってきました。
森に逃げこんだサラを執拗に追うヴィンセント。
しかし、銃声を聞いて集まってきたオオカミの群れによって、ヴィンセントは絶命します。
またもすんでのところで命拾いしたサラがボーミエ家の母屋へ駆けこむと、そこには「ナチスと繋がりがある」とされていた隣人の姿が。
実は、隣人もボーミエ家のように、行き場のないユダヤ人夫婦をかくまっていたことを知るサラ。
そこへ帰ってきたボーミエ夫妻が「息子のジュリアンを取り返すためには大金が必要だ」と嘆くや、隣人は有り金すべてをボーミエ夫妻へ渡します。
隣人の真実を知り、そのやさしさに感激しつつも、一刻を争うボーミエ夫妻は、ジュリアン奪還のため車を走らせました。
結 人間万歳
※まだ映画をみていない方は開かないでください。
しかしそのころ、ジュリアンは無惨に撃ち殺されていました。
その日以降ボーミエ夫妻は、死ぬよりつらい日々を過ごすことに。
こんどはサラが、夫妻を支える番…愛する人を失いながら…もう嫌だ
サラは、終戦までボーミエ家で暮らしました。
戦争が終わり、復学したサラのもとへ、父親がやってきます。
あきらめかけていた父との再会とともに、母がアウシュビッツに送られたことを知るサラ。
悲しみを胸に、ボーミエ家をあとにしたサラですが、夫妻との関係はずっと続きました。
ボーミエ夫妻は、やがておとずれたサラの結婚式の日も、実の父親とならんで式に出席してくれたのです。
…サラおばあちゃんの話はここで終わりました。
ジュリアンは、自分の名前の由来となった少年の存在に心震わせます。
サラおばあちゃんは、「親切は愛とおなじくらい人の心にのこる」と言いました。
そして、「人は変われる」とも。
ジュリアンは、サラおばあちゃんのため、空になったポットに紅茶を淹れるのでした。
翌日、サラは画家として自身の回顧展に向かいます。
大勢の観客の前でサラは、人生を反映させた自作の成り立ちにふれ、「人間万歳」と叫びました。
映画【ホワイトバード はじまりのワンダー】名言集
原作小説『ホワイトバード』も映画版も、すばらしい名言にあふれています。
映画本編から、筆者がえらんだ名言をご紹介。
映画本編の内容にふれています!ネタバレにご注意ください!
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「現実には限界があるが、想像の世界は果てしない」
サラの担任教師であり、強い女性であったマドモアゼル・プティジャン(演/パッツィ・フェラン)がサラに授けた魔法の言葉。
この言葉は、サラ、そしてジュリアンの支えとなり続けました。
小説に書きあらわされた無限のイマジネーションを、現実に立ち上げて限界をつくるのが映画制作。
でもブルーベルの森や納屋が想像通りで、うれしくなりました
そして、その限界のなかで無限を表現した本作に「映画ってやっぱりすごい」と涙しました。
また、本作のもう1つのすごさは、原作小説の恐ろしさをしっかり引き継いでいること。
サラの両親が感じた“正義の限界”とともに、圧倒的で厳しい現実を描いています。
サラの母親がアウシュビッツに連行される道のりを、事象として淡々と描く選択にも鳥肌がたちました。
ナチスはわたしから多くのものを奪ったけれど、空や鳥を盗むことはできなかった。
ーR・J・パラシオ『ホワイトバード』第2部第一章/ほるぷ出版
「そうじゃない人もいる」
サラの父・マックス(演/イシャイ・ゴラン)が、家族の分裂を予感しつつサラに送った言葉。
「なぜ人々は私たちユダヤ人を嫌うの」と純粋な疑問をもっていたサラに、「そうじゃない人もいる」と答えるマックスに、器の大きさを感じました。
続けて、「人はだれでも心に光を持ってる」とマックス。
ユダヤ人にヘイトを向ける人々について「光が見えないから憎むんだ」と憐れみます。
マックスの成熟した感覚が心地良い
原作小説でも、このマックスの言葉は大切に語られています。
「その光は、わたしたちにほかの人の心のなかを見せてくれ、そこにある美しさを見せてくれる。愛、悲しみ、人間らしさ。だが、その光を失ってしまった人もいる。そういう人は心のなかに闇を抱えているから、ほかの人のなかにも闇しか見ることができない。美しさも、愛も見ることができないんだ」
ーR・J・パラシオ『ホワイトバード』第1部第五章/ほるぷ出版
ラストシーケンスでサラは、キング牧師の言葉を引用し、観衆へむけて「闇で闇は払えない、光だけがそれを成し得る」と述べました。
はるか昔から、様々な作品で語られてきた、人間の根源ともいえる言葉。
しかし寂しいことに、闇をもって闇に対峙する人は後を絶ちません。
「ちいさな行為に人間らしさが」
前述したマックスの言葉にもある“人間らしさ”という言葉。
この台詞は、サラをどなりつけたジュリアンをかばう、ジュリアンの母・ヴィヴィアン(演/ジリアン・アンダーソン)のものです。
ジュリアンの複雑な感情をまるっと受け止め、否定するのではなく「人間らしい」と肯定する、さすがの人間力。
サラに甘え始めたジュリアン、愛おしい
「あの子は自分自身に怒っていたのよ、いとしい女の子<マ・シェリー>」
ーR・J・パラシオ『ホワイトバード』第2部第六章/ほるぷ出版
「Vive l’Humanité!」
全編を通して繰り返される、本作の軸でもある言葉「Vive l’Humanité!」=「人間万歳!」
この言葉が登場する最初のシーンは、あまりに残酷なものです。
人間の尊厳を守る最後の砦として機能していたこの言葉は、作中で、やわらかく希望あふれるものへと変貌していきました。
終盤ではハレルヤとほぼ同義
「もっと生きたかった」から「生きていてよかった」までを内包する力強い言葉です。
「人間ばんざい」と、抵抗運動<マキ>の男がこの言葉を口にしたあの日以来、わたしはこの言葉を紛争や抵抗や反抗と結びつけていた。けれども、ヴィヴィアンの話からは、別の意味も感じられる。
ーR・J・パラシオ『ホワイトバード』第2部第六章/ほるぷ出版
【ホワイトバード はじまりのワンダー】原作本・映画との違い
ほるぷ出版で販売されている原作小説『ホワイトバード』は、前作【ワンダー 君は太陽】とおなじR・J・パラシオというアメリカの作家の作品です。
個人的には、原作小説をよんでから映画をみてほしい!
映画では高校生になっていた現在のジュリアンが、原作ではもっと幼い設定だったりと、ところどころわずかな違いがあります。
ジュリアンが働いていた映画館のくだりと、それにまつわる人物たちは(ジュリアンのチャップリンも!)、原作には登場しません。
小説を愛するパラシオに、映画制作陣が映画愛で呼応しているようで感動しました。
個人的に素晴らしいと感じた、ジュリアンがサラおばあちゃんに紅茶を淹れるシーンも映画オリジナル。
いじめの加害者として、無自覚に他人を傷つけてきたジュリアンの“気づき”のきっかけが、些細だからこそリアルでした。
原作では、ジュリアンのなかでビッグバンが起こります。
小説ならではのファンタジー性も、ぜひ楽しんでほしいです。
サラがはきかえた赤い靴も、原作を読んでいると美しさ倍増です!
コウモリやオオカミ、そして白い鳥のもつ意味も、原作を読むとわかります。
【ホワイトバード はじまりのワンダー】ネタバレあらすじ・名言まとめ
「ひとは変われる」と信じ、ねがうR・J・パラシオに救われた思いです。
混乱の時代に、この小説と映画に出会えてよかった!
劇場のスクリーンで、イマジネーションの奇跡を体感してほしいです。
ぜひ劇場へ!<上映中の劇場はこちら>
〈出典〉映画『ホワイトバード はじまりのワンダー』公式X/Wikipedia