【恋は闇】8話のネタバレ考察!浩暉(志尊淳)が犯人でない理由を考えてみた

水曜ドラマ「恋は闇」

志尊淳・岸井ゆきのダブル主演のドラマ【恋は闇】(こいやみ)第8話が6月4日(水)に放送されました。

今回は【恋は闇】8話のネタバレ&考察について紹介します。特に、浩暉(志尊淳)が犯人でない理由について絞って、考えてみたいと思います。

【恋は闇】8話のネタバレ&考察

【恋は闇】8話のネタバレ&考察です。

浩暉(志尊淳)が犯人なのかは疑わしい

8話ラストで、血まみれの女性が倒れている部屋に、血のついたナイフを手に立っている浩暉(志尊淳)の姿がありました。

万琴は愛する人が連続殺人犯である場面に遭遇してしまったわけですが…。

本当に浩暉(志尊淳)が犯人なのかは疑わしいと思います。いや、決定的な場面ではあるのですが…SNSでも信じたくないという視聴者がたくさんいます↓

そこで、浩暉(志尊淳)が犯人でない理由を考えてみましょう。

考察1:浩暉(志尊淳)が犯人だと、そのまんま過ぎる

浩暉(志尊淳)が犯人でない理由一つ目は、ストレートに、そのまんま過ぎるからです。

浩暉が怪しい!という展開になっているのに、なんの意外性もなく犯人では、そのまま過ぎるんですよね。

SNSでもツッコミの声があります↓

そのまま過ぎる!と視聴者が思ってしまうのは製作スタッフ側も承知の上でしょう。

その上で、最終回の前の前の回で一度そう見せかけたんだろうなあ、と思いたいですね。

考察2:浩暉(志尊淳)が犯人だと、テーマにそぐなわい

本作は情報があふれ、真実が見えづらくなった現代において、いかに真偽を見極めていくのかという社会的なテーマがあります。

鈴間プロデューサーは以下のように語っています。

分かったような気になってしまうところが私自身もあるし、SNSではみんなが信じているから事実なんだ、と誰かを攻撃したりするようなことがありますが、私たちが受け取っている情報が真実かどうか一度立ち止まって考える必要があると思いました。
(略)
そして、本当のことを見極められる目を持っているのかという問いを、「好きな人が連続殺人だったら」という究極の状況に落とし込みました。「恋は盲目」といいますが、そんな真実を見極めるのがとても難しい中で、ヘビーな現実と向き合い、真実を見つけられるのかというテーマを、エンタメ作品にしたいと思いました。

【鈴間広枝Pインタビュー前編】モデルプレスより

テーマが先にあって企画されたわけですね。ネットやSNSは便利な側面はあるんですが…。ネット社会の闇というか、SNSのデマや誹謗中傷や偏見などマイナス面があるとも思います。

浩暉については劇中の世間や向葵に犯人だろ!と強く疑われていて、怪しさ満点です。そんな中、万琴(岸井ゆきの)が多数派の意見に負けないで、多数派が本当に正しいの?!私は恋人を信じる!と葛藤する点が見どころだったわけです。

恋は盲目であり、恋は闇というタイトルの通り、万琴は恋人の殺人犯の顔を見抜けなかったというのでしょうか。その点はテーマに沿った8話ラストだったともいえますが…。

でも、この「真実を見極める」というテーマでスタッフは最終的にどういう着地をしたいのかは分かりませんが、恋は盲目だから真実を見誤ってしまう悲劇の物語…だとちょっと悲しいです。

私(筆者)だったら多数派が恋人を殺人犯だと指摘しても、少数派だけど恋人を信じ続けてついに真実(殺人犯でないという事実)を見極める……という着地が見たいですね。その方が希望的です。

また、浩暉が犯人だったら多数派の意見の言う通りであり、真実を見極めるというテーマから少しそれると思います。前述したように、恋してたから見極められなかったという点ではテーマにそってますが…。多数派が正解だと、つまらない着地ですよね。

考察3:予告でみくるが浩暉(志尊淳)は犯人でないと明言

9話予告動画で、予告でみくる(齋藤飛鳥)が「ひろくん(=浩暉)は殺人鬼なんかじゃない」と明言してました。

でも、貫路(萩原聖人)が「息子を殺人鬼にしたのは私です」と予告で言っていて…。父と妹の言葉が矛盾しています。混乱しますね。

考察すると、「息子を殺人鬼にした」という言葉はミスリードで、正確には「息子に殺人鬼のふりをさせてしまったのは私です」ということかな?と。

浩暉は殺人鬼のふりをして、手記も公開して、真犯人を揺さぶっているのでは?……と思いたい。という願望込みですが(笑)

やはり、真犯人は浩暉なのか。それとも違うのか。全10話の連続ドラマも終盤戦。結末はいかに?