【ひよっこ】第119話のあらすじと視聴率!島谷問題!みね子(有村架純)が語る自由とは?

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朝ドラ・NHK連続テレビ小説【ひよっこ】第20週(8/14~19)「さて、問題です」

第119話(8月18日金曜日放送)の視聴率、あらすじ、感想!

有村架純さん主演で大人気、NHK連続テレビ小説「ひよっこ」

前回、由香(島崎遥香)に連れられて月時計へ行くみね子(有村架純)。そこへ早苗(シシド・カフカ)と時子(佐久間由衣)も来て、時子のぶちまければスッキリする話しから会議スタート。次はみね子と由香で…。

プチ情報:①「ひよっこ」第22週~竹内涼真さん演じる島谷が再登場。意外な形でまた会えます。②「私たちが見つけた“昭和”~あの頃のひよっこたち~」小島藤子さん,松本穂香さんゲスト出演。NHK水戸で8/18(金)午後7時30分~ 午後8時13分 茨城県内放送です。

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目次

【ひよっこ】119話の視聴率

119話の視聴率は21.4%!

【ひよっこ】119話のネタバレあらすじ

バー「月時計」に居合わせたみね子(有村架純)、由香(島崎遥香)、時子(佐久間由衣)、早苗(シシド・カフカ)。4人の会話を早苗が仕切るので、まるで会議のような様相に。

みね子と島谷(竹内涼真)が別れた話を蒸し返す由香に、「よけいなお世話だ。ケンカを売っているのか」と詰め寄る時子。私が守ると宣言する。

由香は、みね子を見てると「胸が痛くなる」という。耐えて我慢して一生懸命働いてニコニコ、健気に自己主張しない。「嫌だって投げ出してほしいのよ」と声を荒げる。由香の母が同じように無理して死んだことと重なるのだった。もっと自由に生きてほしいと由香は願う。

みね子は「自由って自分で選ぶってことでしょ」と反論し、健気でいい子でもないと否定する。島谷と結婚すればうちが楽になると思う醜く汚い自分がいた。そんな自分が吐きそうなくらい嫌だった。親を捨てて一緒になる話しの時に“好きだけ”でいられるのだと嬉しかった。しかし「自分で決めました」と別れたのは自由意志と断言。

すすり泣く由香。彼女を食い逃げし親から金をとる“血も涙もない悪魔”と思っていたみね子たちは驚く。由香は泣くと子どものようだった。

会議も最後の議題「由香の生き方」を問うことに。なぜ鈴子(宮本信子)と省吾(佐々木蔵之介)に反抗するようになったのか…。由香は現在、結婚していないが絵描きの好きな人と暮らして、花屋でバイトもして幸せにちゃんと暮らしていた。

みね子は省吾に聞いた話しを伝える。由香は「わからなくなっちゃったんだ」と話す。父や祖母に謝られ、母の死は彼らのせいなのかと、ひどい、と子供心に思った。店では明るくしてる2人を見て、そして、どんどん嫌な娘・孫になっていた、と自覚していることを話し…。

続きは次回。「この広い野原いっぱい咲く花を~♪」裏天広場でヤスハル(古舘佑太郎)が歌っているところに省吾と鈴子がやってきた。

【ひよっこ】119話みんなの感想

https://twitter.com/mirage_flower/status/898356397712097280

https://twitter.com/atsuko_kake/status/898338874287562753

【ひよっこ】119話の感想

「自由」とは何か?

今回は哲学的テーマになっていました。視聴者も賛否両論。喧々諤々(けんけんがくがく)!これに踏み込むと長くなるので、その前に今回の話しをまとめます。

第119話も“月時計会議”続行中。議題3つのうち2つ目に進みました。

みね子と島谷の別れについて

島谷さんと結婚したら金持ちになれる、と嫌な、醜い気持ちがあったと告白するみね子。それにも賛否はありますが、個人的には、その醜さに吐き気を覚えるなんてやはり「いい人」です。

「無知の知」という言葉があります。知らないことを知ることが知性への第一歩、と。

だから、

「無恥の恥」で恥ずかしさ・醜さがない、感じないことは恥の第一歩なのかもしれません。

「厚顔無恥」という言葉もあります。厚かましく、恥知らずなさまです。他人の迷惑などかまわずに、 自分の都合や思惑だけで行動すること。

恥を知っている時点でみね子は「いい人」であり厚顔ではないです。

しかし核心のなぜ別れたのか?それについてはみね子は「自分で決めた」と言い切って、明かしていませんでした。

それって理由!?(英語のWHYの答え?)

どのように決めたかの説明じゃないのか。(英語のHOW)

新聞の記事やビジネスで説明するときに 【5W2H】が大切と言われます。

When(いつ)、Where(どこで)、Who(誰が)、What(何を)、 How( どうする)、Why(なぜ)、How much(どのくらい) です。

「家族を大切にしない人は嫌いです」と島谷に言ったことが別れた理由なのでしょう。今回119話でその話しが出なかったのが少し不自然でした。

島谷が自分を選んでくれて「これで醜い気持ち感じなくていい、好きだけでいられるって嬉しかった」のに、「それでも」選んだ別れの道だとみね子は言います。

それでも別れを選んだのは、島谷の家族のため、島谷本人のために別れた、島谷さんを本当は嫌いになったわけじゃないというところまで聞きたかったかな。早苗さんはその点を気にならなかったのか不思議。

まあ、はじめに早苗と時子が言ったように当事者以外関係ないのですから、由香が満足すれば解決する議題だったのですね。

自由とは?

自由とは何か。哲学者などが議論し続けてるテーマで答えなんて人それぞれ。

「自由」…他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。(参照wiki

「ひよっこ」の由香がいう自由とは何も身体的拘束ではありません。もちろん親の支配ということでしょう。

みね子は自分で決めたから自由と言います。

本当に“自分で”決めた、つまり、自由な意思だったのでしょうか。それには、

決定論と自由意志」から始めなくてはなりません。(参照wiki

自由意志…他から束縛されず自らの責任において決定する意思。

ここでいう自由意志の問題とは「どのように思うか」が自由であるかについてです。

自由意志に相反する考えが決定論です。

決定論…現在と未来のあらゆる事象は、自然法則と結び付いた過去の事象によって因果的必然性があるという見方。けれど決定論=自由意志の否定ではないそうです。

決定論は、大まかに2つあります。(参照wiki

1つ目に『完全決定論・因果(単調)的決定論』(未来の事象は自然法則を伴う過去および現在の事象によって必然化されているという論)があります。ミステリ作家・東野圭吾さんも扱った「ラプラスの悪魔」という思考実験によって表現されています。

2つ目は『確率的決定論』。未来は因果律によってではなく確率によって支配されており、その限りで未来は決定している論。

・・・どちらにしても未来が決まっているなんて、少しさびしいです。

みね子の思ったことも、決まっていたなんて!

決定論と自由意志が両立する主張もありますが筆者には理解できませんでした。決定論自体にも固いものから様々。自由についても様々で、古典的両立主義のトマス・ホッブズが「自由というのは意志や欲求もしくは性向と関連付けられるものではなく、人間の自由なのである」と意志から離れています。それなら両立しますが…。

各哲学者たちの一部をみると

ドイツの哲学者・カントは道徳と自由意志について述べました。義務論とも呼ばれます。著書『実践理性批判』の「純粋実践理性の根本法則」において「あなたの意志の格率が常に同時に普遍的な立法の原理として妥当しうるように行為せよ」と述べます。

結果を重視する功利主義と対極です。動機を重視する考えです。善意志に従うこと。言い換えると良心に従えということ。カントは「感性」と「理性」に人間を分けますが理性的存在として道徳に従うのが自由意志と説くわけです。

・・・これはみね子に当てはまると考えられます。みね子は良心・道徳に従いました。”家族を大切にすること!”  別れを選んだ結果は分かりません。その動機を重視したのです。理性的存在の人間として選んだのです。由香は理性が混乱状態だったようです。由香こそが自由(家を出て好き勝手にしている)にみえて家族や過去に縛られています。みね子はある意味、冷静で理性的で、自由意志でした。

フランスの哲学者・サルトルは自由肯定論者で、「人間は自由の刑に処せられている」と説きます。実存主義というやつです。

あらゆる物は神によって本質が決められている。ナイフが切る目的があるように。しかし無神論にたてば目的がありません。難しくいうと実存が本質より先立つのです。簡単にいうと、人間は目的がないので、自分で考えて行動し選択出来るのだから自由。その反面、その効果や結果は自己責任であるため「自由の刑」に処されているということ。

・・・たしかに人間は自由です。みね子の時代はまだ縛られていましたが現代の日本では特にそう思います。けれど、自由だからこそ不自由でもあります。ややこしいです。この不自由とは責任に縛られていることです。目的があったら楽ですから。言うとおりにしていけばいいのですから。

みね子は自由に伴う責任を負っているようです。私が決めたからと責任を持ち、他人からとやかく言われてもそれは自由だという論点。自由の刑にかかる覚悟がいります。だから由香は心打たれたのでしょう。

ドイツの社会心理学者・フロムには「自由からの逃走」という著書があります。東京創元社版の商品説明を参考にすると、本書はナチスドイツへ傾倒したことを分析したもの。あの狂気を生んだ悲劇の根源は「自由」という人類に与えられた恩恵であり、フロムは「個人が生きるその社会の姿を理解することなしに、自由に生きることなどありえない」と語りました。

・・・「我慢ばかりしてない」というみね子。人から見てではない「本人が選んだんだから」それは自由。けれど社会についても理解しないといけません。本人が選んだと思わせて、自己実現を語り、最低賃金でもいいと思わせるブラック企業が蔓延しているからです。それでも高校生バイトなどでない限り個人の責任ですが…。

つまり「社会」について見つめる必要はあります。この時代についても。しかし時代に縛られて2人は破局したのか。家族のため、会社のため、ですが、…これはいくらでも立ち向かえることができたはず。

「選択が少ないのに自由じゃない」というツイートが多いですが、たしかに多くの選択肢があった方が自由です。ただ、自由じゃないとも言い切れません。それにそれは決定された、運命でどうすることもできません。父が失踪したり会社が倒産したり縁談があったり、与えられた状況やその場で決めていかないといけないわけです。

人には自分の力でどうにかできることとそれ以外があります。運命や環境はそれ以外です。

とはいえ、2人が上手くいく道はなかったのでしょうか。

みね子は「家族が大切」に従う信念があるので、家族と絶縁しない道しか上手くいくことはおそらくありませんでした。

その点、家族を捨てるといいきった島谷さんのみね子への見識不足だったと言わざるを得ません。そこが悔やまれます。

長くなりましたが、自由意志で選んだみね子の道(個人の見解です)。家族愛を信じ進むみね子の今後には注目です。

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